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聞く耳は持たず、ただ引っ張るのみ…吉田義人が「明治史上最高の主将」になるまで【同期“幻のキャプテン”の告白】
text by
藤島大Dai Fujishima
photograph byMasato Daito
posted2021/05/01 17:01
早大との大学選手権決勝では伝説の逆転トライを決めた吉田義人
焼肉店「大笑」。タイショウと読む。
大将の西原在日(ざいひ)の第一声はこうだった。
「ラグビーの、なんと言ったらいいんですかね、虫ですよね」
吉田主将を支えた元副将である。
虫ですか。
「虫です。チームの全体練習が終わってから個人練習、ステップ、スワーブ、短距離のダッシュを延々と繰り返す。そんなやつがキャプテンになってどうなるのかなあ、とも思いましたけど、結果、優勝しましたもんね」
吉田義人は秋田工業高校からまさに鳴り物入りで八幡山へやってきた。背だけは高くない。あとはすべて備えていた。速く強く鋭く、実戦において常に賢く、闘争心と冷静さはあらかじめ存在する物質のごとく溶け合った。新人でレギュラー。ジャパンにも早々に選ばれた。
個性は尖っている。丸くはない。ひたすらストイックに自分を磨いては研いだ。チームを円滑にまとめるイメージとはとても遠かった。
そう。吉田主将は和を以て貴しとなさない。聞く耳も持たなかった。ただ引っ張るのだ。高みへ高みへと容赦なく。
「他人の2倍、3倍、練習する。我々にもそれを課しました。いま考えると、吉田はキャプテンでなかったほうが大変だったかもしれません。はみ出してしまって」
先輩が指名したのは「吉田」ではなかった
NECを早期退職後、大評判の店を営む西原元副将は、かつての大阪工業大学高校から明治へ進み、3年でフッカーの定位置をつかんだ。前へ。もうひとつ前へ。いつでも部訓を体現した。明朗で人情の機微に長けていた。
「実は」。'92年のアジア大会の日本代表にも選ばれた人が明かした。「明治は卒業していく先輩が次のキャプテンを先生に推挙します」。先生、終身監督の北島忠治である。前年度は関東対抗戦の4位、全国選手権は1回戦で大阪体育大学に敗れた。立て直しを期して名を挙げられたのは「実は私だったんです」。
例年ならそのまま通る。副将候補のナンバー8、冨岡洋と「一杯酒を飲みながらチーム構想を語り合いました」。
なのに翌日の納会で御大は発表した。
「キャプテンは吉田」