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「涙が止まらなかった」天皇賞秋、 デビュー直後のバセドウ病、恩師の死…今月50歳、田中勝春の波瀾の半生
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph bySatoshi Hiramatsu
posted2021/02/05 17:01
間もなく50歳の誕生日を迎える田中勝春のジョッキー人生は波乱に満ちている
藤原師とのタッグを組んでの重賞制覇を遂げるまで
半年の休養を経て秋になり、何とか回復した田中騎手は2度目のデビューを果たす。10月21日には自厩舎である藤原敏文厩舎のセキテイボーイに騎乗して、初勝利をマークした。結局この年は5勝に終わったが、2年目、3年目はそれぞれ41勝、63勝と一気に成績を伸ばし、4年目の1992年にはヤマニンゼファーを駆って安田記念(GI)を制覇。ついにGIジョッキーへと上り詰めた。
また、翌93年にはセキテイリュウオーで金杯(現・中山金杯/GIII)を優勝。これが田中騎手にとって初めての師匠とタッグを組んでの重賞制覇となった。
「ただ、セキテイリュウオーとの思い出は良い事ばかりではありません」
「情けないやら悔しいやらで涙が止まらなかった」
同年の秋の事だった。毎日王冠(GII)を2着したセキテイリュウオーと田中騎手、藤原調教師のトリオは勇躍、天皇賞(秋)(GI)に駒を進めた。レース前の心境を鞍上は次のように思い出す。
「人気はなかったけど、毎日王冠の内容は悪くなかったし、何としても師匠の馬でGIを勝ちたいという一心でした」
それまでGI勝ちのない師匠に、恩返しをしたいという気持ちで騎乗し、いい手応えで最後の直線を迎えた。
「“行ける!!”と感じて追い出しました」
しかし、あと少しのところで願いはかなわなかった。結果はハナ差惜敗の2着。当時を思い起こす田中騎手の表情は今でも歪む。
「セキテイリュウオーは一瞬しか脚を使えない馬でした。そんな特徴も知っていたはずなのに、早目に追い出してしまった分、最後の伸びを欠いて負けてしまいました。『もう少し追い出しを我慢していれば……』と思うと、情けないやら悔しいやらでその晩は涙が止まりませんでした」
ちなみにこの時、ハナ差でセキテイリュウオーを退けたのはヤマニンゼファー。前年、田中騎手に初のGI勝ちをプレゼントしてくれた快速馬が、師匠にGI勝ちを届けたいと願うかつての相棒の前に立ちはだかったのだ。この4年後、藤原調教師は現役のまま急逝しただけに千載一遇のチャンスを生かせなかったこのレースの事を思い起こすと、今でもやるせない気持ちになるのだと言う。
さて、天皇賞で惜敗したセキテイリュウオーは、年が明けた翌94年の2月6日、東京新聞杯(GIII)を制覇する。今年の東京新聞杯はこの週末の2月7日に行われる。果たして今年はどんなドラマが待っているだろうか。まだまだ健在の田中勝春騎手の活躍ともども、注目したい。