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「涙が止まらなかった」天皇賞秋、 デビュー直後のバセドウ病、恩師の死…今月50歳、田中勝春の波瀾の半生
posted2021/02/05 17:01
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph by
Satoshi Hiramatsu
1月31日、東京競馬場で根岸S(GIII)が行われた。フェブラリーS(GI)の前哨戦であるこのレースを制したのは1番人気のレッドルゼルだったが、早目先頭からアタマ差の2着に粘ったのは10番人気のダークホース、ワンダーリーデル。低評価だったこの馬を好走させたのは田中勝春騎手だ。今年でデビュー33年目、今月の25日には50歳の誕生日を迎える大ベテランだ。
ヴィクトリーでの皐月賞(GI)勝ちやシャドウゲイトではシンガポールのシンガポール航空国際C(GI)優勝(いずれも2007年)など、数々の実績を誇る田中騎手だが、実は1989年、大きな試練を経験している。
デビュー直後にバセドウ病、引退勧告の噂も
美浦・藤原敏文厩舎から騎手デビューした直後のある月曜日の事だった。朝、目を覚ました田中騎手は、自分の体が全く動かせなかった。彼は当時を次のように述懐する。
「すぐに病院に担ぎ込まれ調べてもらったところ、慣れない生活でのストレスでホルモンバランスが崩れ、バセドウ病に侵されている事が判明しました」
そのまま入院した彼は、少しでも空気の綺麗な場所へ環境を変えた方が良いと1週間後には札幌の病院へ転院。その後もなかなか回復の見込みが立たないまま、時間だけが過ぎていった。
「やっと退院出来たのは2カ月後くらいだったはずです。それからも薬は手放せない生活で、ジョッキーどころか普通の生活が出来るようになるのかも不安でした」
そんな不安な気持ちで日々を過ごす田中騎手の耳に、追い打ちをかけるように変な噂が入ったと言う。
「あくまでも噂なので本当かどうかは分からないけど、JRAが引退を勧告するように動いていたと耳にしました。でも、師匠の藤原先生が掛け合ってくれて、何とかその動きに“待った”がかかったと聞いています」
真相は分からないが、馬券を発売する側の主催者としては、健康に不安のある者を乗せられないと考えても不思議ではないし、責められる話でもないだろう。
「いずれにしろ、デビューしてすぐにリタイアした僕を、温かい目で見守り続けてくれた藤原先生には感謝しかありません」