フランス・フットボール通信BACK NUMBER
チアゴ・アルカンタラ&ラフィーニャ兄弟をどうやって育てた? 元ブラジル代表の父・マジーニョに聞いた
text by
エリック・フロジオEric Frosio
photograph byAlex Martin/L’Équipe - Stéphane Mantey/L’Équipe
posted2021/01/10 17:00
リバプールに所属するチアゴ・アルカンタラ(左)と今季パリ・サンジェルマンに移籍したラフィーニャ(右)
マジーニョ 彼らを私の練習に連れて行った。バレンシアでは始まる1時間前に練習場に行き、3歳のチアゴ、1歳半のラフィーニャと遊んだ。別にサッカーを好きになってもらいたかったからではなく、遊んで疲れれば僕が家に帰ったときに大人しいから(笑)。僕も練習の後では、彼らと一緒に遊びたくはなかったからね。
――しかし後になって、それは避けられなかったのではないですか。
マジーニョ ビーゴでは、家のガレージの前に2つの花瓶を置きゴール代わりにして、彼らが学校から帰ると2対1をやった。毎日、夕食になるまでそれが日課だった。楽しんではいたけれどそれだけではなかった。喧嘩することも泣くこともあって、それもまたプレーの一部だ。そうしてラファ(ラフィーニャ)は自然と鍛えられていき、兄弟2人の絆も深まっていった。
――そうして彼らは成長したのですね。あなたのDNAを受け継ぎながら。
マジーニョ そうかも知れない。前妻もバレーボールの選手だったし、スポーツ漬けの環境にあった。サッカーだけではなくバスケットボールやバレーボール、テニス、ホッケー……。さまざまな競技を子供たちとプレーした。それが彼らのスポーツ感覚を養ったのだろう。
ラフィーニャは「GK志望」だった?
――クラブでプレーを始めたのは何歳からですか?
マジーニョ ビーゴに住んでいたときに、ウレカという小さなクラブに登録した。チアゴは12歳でラファエルは10歳だった。ポジションは異なりラファはゴールキーパー、チアゴは10番の攻撃的ミッドフィルダーだった。以来、彼はずっとこのポジションでプレーしているが、バルセロナには若手にあらゆるポジションを経験させるという哲学がある。それが素晴らしいと思うのは、ポリバレントになっていくからだ。中盤なら右でも左でも、攻撃的なポジションでも守備的なポジションでもプレーできる。選手たちはすばらしい切り札を手にする。プレーをより深く理解できるし、チャンスを生かす機会もより頻繁に訪れる。
――ラフィーニャは、本当にはじめはGKとしてプレーしていたのですか?
マジーニョ 大好きだったね。GK用のショーツやグローブ……。ひと通り買いそろえてやったよ。草の上に身を投げ出すのが彼は好きで、ウレカではGKとして練習に励み試合にも出ていた。ただ、だからといって、足元の技術が劣っているわけではなかった。
兄から1年遅れでバルサのテストを受けたとき、彼は本気で悩んでいた。だから私は彼にこう言った。「GKのことは忘れなさい。身体が小さすぎるし、フィールドプレーヤーとしても優れているのだから」と。それでミッドフィルダーとして採用されることになった。