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【箱根駅伝】40年前、駒大・大八木監督が筆者の小学校に来ると…「友達がターボがかかったように速くなった!」
text by
高木圭介Keisuke Takagi
photograph byJMPA
posted2021/01/04 17:03
大逆転劇を演じた駒澤大学を率いる大八木弘明監督
担任の先生から「大八木さんって、陸上で有名な選手らしいぞ。お前らも走り方を教わってこいよ」なんて説明を受けて納得。ちょうどその頃、テレビでは西田敏行が冬場でもランニングと短パン姿で競歩にて登下校する小学校の産休補助教師を演じたドラマ『サンキュー先生』(テレビ朝日)が人気となっていたが、背が低くて太めの西田敏行とは真逆の体型である大八木さんを、サンキュー先生にたとえる者はいなかった。
今回の駅伝レース中でも、「男だろ!」「お前は男だっ!」という大八木監督の声やテレビクルーに対する「喝!」までが話題となっていたが、当時の大八木さんは寡黙なタイプに見えた。熱さは内に秘め、黙々と作業されていた姿が印象深い。
連合運動会に向けて開かれた「大八木塾」
秋のある日、川崎市の全小学校が参加する「連合運動会」なる大イベントが等々力陸上競技場で開催されることとなり、大会前に6年生の各クラスから選抜された代表選手が、リレー競技用に大八木さんから直接指導を受けるという出来事があった。
当然、代表に選ばれるのは運動会の学級対抗リレーの常連である足の速い子ばかり。今となっては残念至極なのだが、筆者自身は鈍足でもないのだが、かといって取り立てて足が速いワケでもないという平凡タイプだったので、その「大八木塾」に参加することはできなかった。
いよいよ、小学校の校庭にて「陸上の専門家」である大八木さんの指導が始まったのだが、その詳細は知らない。グラウンドの端で遊びながら遠目に眺めていただけだ。ところが、ほんの数日、大八木さんの指導を受けて戻ってきた足の速い友人たちが、もともと足が速いうえに、さらにターボがかかったように速くなっていたことに驚かされることになる。大八木さんの短期指導によって、平凡な連中とのスピード差が、さらに広がってしまったというワケ。筆者は12歳にして「素質も大事だが、やっぱり、スポーツってのは指導者ありきなんだな……」と思い知らされたものだ。