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【箱根駅伝】40年前、駒大・大八木監督が筆者の小学校に来ると…「友達がターボがかかったように速くなった!」
text by
高木圭介Keisuke Takagi
photograph byJMPA
posted2021/01/04 17:03
大逆転劇を演じた駒澤大学を率いる大八木弘明監督
昭和57(82)年春に筆者は小学校を卒業。その後、人づてに「大八木さんは今、駒澤大学の夜間部に通って陸上を続けているらしいよ」と耳にはしていた。それから幾星霜。大学卒業後からスポーツ新聞の記者になったものの、箱根駅伝や陸上競技とはとことん無縁の担当を歩んだ筆者は、大八木さんのことも小学生時代の懐かしい思い出となりつつあった。
ところが21世紀に入り、箱根駅伝に限らず、数々の駅伝大会にて、駒澤大学が大躍進を遂げているニュースを目にするようになり、ふと気が付くことになる。「駒大の大八木監督って、あの大八木さんではないか?」と――。ときおり再会する、小学校の同級生らと、その話題となっても、ほんの1~2年をともに過ごした大八木さんのことを憶えている者は半々という感じだった。
異色の経歴を歩んできた名伯楽
一般的に有望なスポーツ選手は、高校時代に活躍した実績を買われて、スポーツ推薦等でストレートに強豪大学へと進学……という道を歩む。高校卒業後、ストレートに大学に進学しなかった大八木さんは、こうした空白期間を挟みつつ、普通ならば大学を卒業している年齢(24歳)になってから駒澤大学へと入学し、陸上選手として活躍。卒業後は実業団(ヤクルト)で活躍し、やがて指導者として母校である駒澤大学へと帰ってきたという異色の経歴を誇る。
成長の先に、やがて年齢との戦いに突入するスポーツ界において、こうした「まわり道」は競技者にとって不利に働くことが多い。ゆえにそうした経歴の名選手、指導者は珍しい。だがしかし、こんな異色の経歴こそが、熱き名伯楽の形成に役立っているのかも。
トレーナーとして活躍する者も
あの時、大八木さんの指導を受けて、さらに足が速くなってしまった子どもたちの中には現在、アスレチックトレーナーとして活躍している者もいる。大八木監督が小学校の用務員として過ごした数年間は、のちの陸上競技人生、指導者としての栄光を考えると、先は見えず、選手としては将来への不安ばかりが募る雌伏の時だったのかも知れない。
誰もいなくなった放課後の小学校校庭でダッシュやもも上げを繰り返していたり、行き帰りの通勤すらも走り込み。そんな時期を偶然目撃していた数少ない者として、今回、陸上競技の門外漢でありつつ、こんなコラムを書かせていただきました。