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マラドーナはスキャンダラスな世界的英雄だった クライフ、ジダンと似て非なる庶民派のカリスマ性 

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田邊雅之

田邊雅之Masayuki Tanabe

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photograph byTakuya Sugiyama/JMPA

posted2020/12/28 11:01

マラドーナはスキャンダラスな世界的英雄だった クライフ、ジダンと似て非なる庶民派のカリスマ性<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama/JMPA

毀誉褒貶が激しかったマラドーナだが、それだけ世間が彼の人間性に注目していた証でもある

 サッカーを始めとするスポーツには、地域の歴史や文化、生活状態、人々のメンタリティといった宿業が否応なく反映される。結果、大衆がサッカーに託す祈りにも似た感情は、イタリア南部の方が熱を帯びる。ピッチはお高く止まった鼻持ちならない北の連中――金にものを言わせ、他人を見下すような連中に対して、自分たちのアイデンティティと誇りを表現する唯一の場となるからだ。

 マラドーナは人々の願いを聞き届け、ナポリでも現人神となった。当時、ナポリの裏通りでは「祭壇」さえ設けられたし、W杯90年大会でイタリアとアルゼンチンが対戦することになった際には、南部の人々がイタリア代表ではなく、アルゼンチン代表にシンパシーを寄せるという出来事も起きた。そして死後、英雄の名はクラブのスタジアムにも冠せられることになった。

バルサのクライフ、フランスのジダン

 一人のサッカー選手が、かくもシンボリックな存在になった例は多くない。他で思いつくのはバルセロナ時代のクライフと、フランス代表としてのジダンぐらいだ。 

 現役時代のクライフは、フランコ大統領の独裁体制と中央集権が続くスペインにおいて、カタルーニャの自治と独立をピッチ上で体現する人物となった。ヘミングウェイやオーウェルが参戦した1930年代の市民戦争を、一人で戦い続けたとも言える。バルセロナは「クラブ以上の存在」を自認しているが、その哲学に血肉を与えたのがクライフだった。

 一方、ジダンはフランスの人々に精神的な拠り所を与えている。

 フランスは1990年代後半から社会の多様化が急速に進み、文化的アイデンティティの危機に直面していた。このような状況の中、ジダンは母国で開催されたW杯98年大会と隣国で開催されたユーロ2000でチームを優勝に導き、従来の国民国家の枠に縛られない共同体の意識を創り出している。映画評論家の故・梅本洋一氏は、ジダンたちが成し遂げた偉業を「新たな市民革命」と評した。

 ただしジダンもまた、マラドーナと同じような矛盾を抱えていた。反権力志向の強いマラドーナが一時的にせよ軍事政権のガス抜きの役割を担わされたように、ジダンはアルジェリア系移民の二世だったからである。価値観の多様化に揺れるフランスを救ったのは、まさに価値の多様化を象徴するような人物だった。

 とは言えクライフやジダンとマラドーナの間には、決定的な違いがいくつか存在する。

【次ページ】 ディエゴとマラドーナの距離

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