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「もうダメだ…」挫折した神童に「自分で考えろ!」 テコンドー五輪代表3人“大東文化大テンション”
text by
布施鋼治Koji Fuse
photograph bySachiko Hotaka
posted2020/12/08 11:01
兄の鈴木セルヒオ(左)と弟の鈴木リカルド(右)、そして山田美諭。テコンドー日本代表の4人中3人が大東文化大で学んだ
神童・セルヒオの挫折と金井監督の喝
かつてセルヒオは中学時代にボリビアでシニアのナショナル王者になった神童だった。その勢いで高校からテコンドーの本場・韓国に留学したが、ここで大きな挫折を味わう。
大学は「何となく新しいところでやってみたい」という思いで、父の母国・日本の大東文化大へ。しかし最初は何も教えてもらえない。「どうすればいいですか?」と質問すると、金井監督に一喝された。
「自分で考えろ!」
実際そうできるようになってからセルヒオはいろいろなアドバイスをもらえるようになったという。最初から何でも聞くのではなく、聞きたいことを考え自分なりの考えをまとめたうえで質問する。金井監督はそこまで成熟するのを待っていたのだろう。選手が気づかぬうちに背中をそっと押す。JOCナショナルコーチアカデミーでコーチングを学んだ金井監督はしっかりとした指導理論を持つ。
「お前はまだ自分の才能を使いこなしていない」
セルヒオは「あとから監督に入学当初の僕は『目が死んでいた』と言われた」と打ち明ける。「確かに(韓国での挫折で)自分に失望しすぎて、テコンドーが嫌いになったわけではないけど、『俺なんてもうダメ』と思っていました。でもその一方で諦めきれなかった。そんな中で意識の高い先輩や仲間に恵まれ、金井監督から『お前はまだ自分の才能を全然使いこなしていない』と指摘されたことは大きかった。それで『自分はまだやれるのか』という希望を抱き、1年で出場したインカレで優勝することができました」
挫折から這い上がったという点では山田も同じだ。
「学生時代は自信がなくて、(国際)大会に出ると、いつも一回戦負けでした。『負けたらどうしよう』という弱気な気持ちが練習にも出ていた。私の場合、リオデジャネイロ五輪の前に大ケガ(右足の前十字じん帯と外側側副じん帯の損傷)をしたことが大きかった。監督やチームの頑張りをみて、みんなに恩返しをしたいという思いが強くなってから変わりました。自分でもこんなに気持ちの面が変わるとは思ってもいなかった」