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エプスティーンの辞任とカブスの動揺。球界の風雲児が去って「チーム再建」はどう進められるのか?
posted2020/12/05 06:00
text by
芝山幹郎Mikio Shibayama
photograph by
Getty Images
シカゴ・カブスが揺れている。波はダルビッシュ有にもおよび、トレード説さえちらほらとささやかれている。
2020年のカブスは、ナ・リーグ中地区を制した。予想以上の健闘だったが、ワイルドカードシリーズではマーリンズ若手投手の速球をからきし打てず、敗退を余儀なくされた。限界を感じさせる弱々しい敗戦だった。
加えて、11月17日には、球団社長(より正確にいうと、球団運営のトップ)ティオ・エプスティーン(日本ではセオ・エプスタインと表記されることが多いが、アメリカのメディアは「ティオ・エプスティーン」という表記に近い発音をする)が、辞任を発表した。直近の契約は2017年からの5年契約(俸給総額5000万ドル)だったから、任期はまだ1年残っていたが、いまが潮時と見たのだろう。後任に選ばれたのは、長年の弟分(といっても、同じ1973年生まれ)ジェド・ホイヤーだ。
2つの氷河期を終わらせた男
エプスティーンは、「2つの氷河期を終わらせた男」として、球史に名を残した。
2004年の彼は、レッドソックスのGMとして、チームに(1918年以来)86年ぶりのワールドシリーズ制覇をもたらした。
2016年の彼は、カブスの球団社長として、チームに(1908年以来)108年ぶりのワールドシリーズ制覇をもたらした。
どちらも歴史的事件だ。こんな「偉業」を2度も達成した球界エグゼクティヴは、近年では彼しかいない。腕利きで、頭が切れ、異様に勤勉と評された人だけに、カブスも「一時代の終焉」を痛感しているのではないか。
もう少し、エプスティーンの話をつづけたい。
名前が示すとおり、エプスティーンはユダヤ系の出身だ。祖父フィリップと祖父の双子の兄弟ジュリアスは、名画『カサブランカ』(1942)の脚本チームのメンバーだった。ブルックリン・ハイスクールからイェール大学に進み、在学中から野球ビジネスに興味を抱く。学生時代にはオリオールズで3年間インターンを務め、95年に大学を卒業したあと、同球団に広報のアシスタントとして就職した。ここから、球界との関わりがはじまる。
そんな彼に眼をつけたのが、93年までオリオールズの球団社長だったラリー・ルキーノ(45年生まれ。「ネオレトロ」の球場建設を推進した人)だ。95年、ルキーノがパドレスの球団社長に就任すると、エプスティーンは彼のもとで経営術を学び、法学博士の資格も取る。