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バスケ界の重すぎる称号“ネクスト・ジョーダン”に消えた天才たち…なぜレブロンは「23」のプレッシャーに勝てた? 

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宮地陽子

宮地陽子Yoko Miyaji

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photograph byYoshihiro Koike/Yukihito Taguchi

posted2020/11/23 17:00

バスケ界の重すぎる称号“ネクスト・ジョーダン”に消えた天才たち…なぜレブロンは「23」のプレッシャーに勝てた?<Number Web> photograph by Yoshihiro Koike/Yukihito Taguchi

ジョーダン(左)とレブロンの胸には、「23」の番号が輝く

「マイクのようになれるなんて思ったこともない」

 背番号に23を選んだのも、ジョーダンへの憧れの気持ちからだった。大好きな選手と同じ番号をつけたいという、子どもの頃から変わらない純粋な思いだった。そんなレブロンの子ども時代の思いがわかると、「23」をつけることがどれだけ大事なことなのかも理解できる。

「最初に23をつけたのは、AAUでプレーし始めた5年生のときだったと思う。その1年前にバスケットボールを始めたときから、ずっと23をつけたかったんだ。高校に入ってからは、最初の年は1年生には新しいユニフォームがなかったから、余っている番号で見つけるしかなかった。2年になって新しいユニフォームをもらえるようになって、それからはずっと23をつけている」

 別なときには、こうも語っていた。

「マイクがいたから、僕はこの番号をつけるようになった。バスケットボールを好きになったのもマイクがいたから、彼の活躍を見たからだった。子どもの頃にマイケル・ジョーダンを見たら、まるで神さまを見たようなものだった。だから、マイクのようになれるなんて思ったこともなかった」

なぜレブロンは「23」を返上しようとしたか

 それだけ「23」にこだわっていたレブロンが、ジョーダンに敬意を表して「23」を返上しようとしたことがあった。2009年、ジョーダンがバスケットボール殿堂入りした直後のことだ。ジョーダンが試合を見に来ていたこともあって、試合後にレブロンは、メディアを前に「ジョーダンの23番はリーグ中で永久欠番になるべきだ」との持論を語った。

「マイケル・ジョーダンはバスケットボールに多くの貢献をしてきた。何らかの形でその功績を称えるべきだ。マイケル・ジョーダンがいなければ、レブロン・ジェームズもいなかったし、コービー・ブライアントもいなかった。ドウェイン・ウェイドもいなかった。この10年の間にトッププレイヤーだった選手たちは誰もいなかった」

 結局、レブロンのこの主張はリーグでそれほど賛同を集めることができず、リーグ全体の永久欠番にはならなかった。レブロンも、「23」が永久欠番だったヒートでプレーしていた4シーズン以外は、結局「23」をつけ続けている。おそらく、ユニフォームの「23」の数字を見るたびに子どもの頃の気持ちを思い出し、ジョーダンに感謝しながら──。

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