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中学バスケ恩師が明かす八村塁“少年”が抱えた葛藤「アイツは一生懸命が恥ずかしかったんだから」
posted2020/11/20 17:04
text by
青木美帆Miho Awokie
photograph by
AFLO
富山駅から3キロほどの場所にある、坂本吹付工業の屋上。八村塁を富山市立奥田中学校時代に指導した坂本穰治さんは、真っ白く彩られた立山連峰を背に、碧い日本海を指差す。
「滑川はホタルイカ、新湊はカニ、向こうの氷見はブリ。で、あそこが、あいつが行ってたところ」
学生時代の八村塁は富山に帰郷するたび、決まってその場所に、一人釣りに出かけたという。
「あいつ、釣り好きだから。うちに泊まって、俺が車で連れて行くの。でも、なんにも釣れないんだよ? 1回も釣ったことないんじゃないかな(笑)。でもなんだかそこが落ち着くんだって」
彼がゴンザガ大の2年生だった2年前にも、いつものように釣り場に連れていき、夜は中学の同級生たちを集めて昔話に花を咲かせ、夜は自宅に八村を泊まらせたという。
「いろんな話をしたよ。『あのときのあいつ、おかしかったよな』みたいな話もあったし、塁からはアーリーエントリーをすべきかどうか迷ってるなんて相談も受けた。まあ楽しい時間でしたよ」
坂本さんはそう振り返った。
「あいつは、一生懸命が恥ずかしかった」
「正直に言うと、俺が教えたことは何もない」と坂本さんは言う。確かに、筆者が全国中学校バスケットボール大会で見た中学3年時の八村は、サイズや身体能力に大きなポテンシャルを感じさせたものの、まだ怪物レベルの存在感を発する選手ではなかった。アメリカ屈指の強豪校であるゴンザガ大、そしてNBAへとつながる土台は、名将・佐藤久夫氏が指導する明成高校で磨かれたという見方もある。
しかし坂本さんは、八村がNBAドラフト1巡目指名という快挙を達成するにあたって、もっとも大切なことを教えた人物だ。1つは、すでに語り草になっている「NBA」という大きな目標設定。そしてもう1つは、『力をセーブする必要はない』というマインドだ。
取材中、坂本さんは八村が中学時代に受けたインタビュー記事を見せてくれた。『中学バスケでは一生懸命を楽しむことを学びました』という八村の言葉を引き合いに、坂本さんは言った。
「いつも言ってたんだ。『一生懸命を楽しむ』。ずーっと。だってあいつは、一生懸命が恥ずかしかったんだから」