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劇的な日本シリーズ 大野豊「何故おれじゃなくて川口なのか」そのとき川口和久は… 【西武対広島】
text by
赤坂英一Eiichi Akasaka
photograph byKoji Asakura
posted2020/11/20 06:00
本拠地で迎えた第7戦、最後のバッター野村を三振に斬ってとり、抱き合って喜ぶ工藤と伊東のバッテリー
バッテリーの力で西武の強力打線を抑えなきゃいかん
「あのシリーズは、ウチのタツと西武の森さん、伊東との捕手対決でもあった。それだけに、バッテリーの力で西武の強力打線を抑えなきゃいかんと思うたよね」
しかし、最多勝(17勝)、最優秀防御率(2.44)、MVPなど5冠を獲得したエース・佐々岡真司を先発に立てた第1戦は3-11で大敗。秋山、清原和博、デストラーデ、石毛宏典に滅多打ちに遭った。が、第2戦の先発だった川口は、かえって自信を持って臨むことができたという。
「佐々岡のノックアウトはある程度、予想できた。シーズンのフル回転でエネルギーが切れていたからね。そんな中でぼくが第2戦に指名されたのは、それだけ首脳陣に信頼されていたからでしょう。当時、シリーズは第2戦重視という考え方が主流でもあった。そういう時代に第2戦を任されて、よし、やってやるぞ、と思った」
達川にダメ出しされた新球種が
この年、川口は新たな球種を編み出していた。本来は左投手が右打者の内角を突くカットボールを、打者の手元で外角へ落ちるように改良したものだ。オープン戦で試したら、「こんなもん使えんわ」と達川にダメ出しされ、「くそ!」と思って練習を重ねた。それだけ心血を注いだ甲斐あって、シーズンでは投球回数205を上回る奪三振数230を記録している。この新球が、シリーズでも効果を発揮した。
「西武打線は強力なぶん、思い切り振ってくるタイプが多い。そんな打者ほど、この球に手を出して、ファウルになったり、自打球をぶつけたりしていた。そうして追い込んでおいて、アウトローへの真っ直ぐ、スクリューボールで三振を取るわけです」
その結果、デストラーデには2点本塁打を浴びたものの、清原を無安打2三振に打ち取るなど、8回3分の0を僅か3安打2失点と好投。最後は、大野が初セーブを挙げて4-2で快勝である。ただひとつだけ、川口には抜き難い違和感が残った。
'86年のシリーズを腰痛で欠場した川口にとって、まだ屋根のない当時の西武球場(現メットライフドーム)は初めて投げる球場だった。大抵のグラウンドはほぼ平らだが、'79年に完成したここは両側のベンチに向かって緩やかな下りの傾斜になっている、と川口は指摘する。
「だから、低めを突いたつもりでも、打席に達するあたりで他球場より高めに入るんです。もっと低めに投げようと、力めば力むほど高めにいく。それが嫌だった」