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劇的な日本シリーズ 大野豊「何故おれじゃなくて川口なのか」そのとき川口和久は… 【西武対広島】
posted2020/11/20 06:00
text by
赤坂英一Eiichi Akasaka
photograph by
Koji Asakura
「よし、これで勝った!」
そのとき、広島東洋カープの川口和久は確信していた。日本シリーズが全試合デーゲームだった1991年、西武ライオンズとの第5戦で8回を無失点に封じ、9回を抑えの大野豊が締め、3-0で完勝。3勝2敗と先に王手をかけ、シリーズを制したも同然だと、西日の差す旧広島市民球場の一塁側ベンチで、グッと拳を握り締めた。
思いは、マウンドの大野も同じだった。
「うん、これでいけるぞ!」
5年前の'86年には西武に1引き分け3連勝から4連敗、手が届きかけていた日本一の座をさらわれた。しかも、この本拠地で行われた第8戦で、本塁打を打った秋山幸二に体操選手張りの“バック宙ホームイン”を見せつけられている。「あの屈辱を忘れたことはなかった。だから今度こそは、と思ったんです」と大野は強調する。
広島を、森祇晶はしきりに挑発した
こうして迎えたシリーズは、西武が圧倒的に有利と見られていた。監督の森祇晶が就任1年目の'86年に広島に逆転勝ちして以降、5年間で4度の日本一を誇る絶対的王者として君臨。前年の'90年は巨人を第1戦からの4連勝でくだしている。'91年のシーズンも優勝し、チーム防御率3.22、同打率2割6分5厘と、投打ともにリーグトップの頭抜けた戦力を誇っていた。
対する広島の“ミスター赤ヘル”山本浩二監督は就任3年目で、優勝もシリーズ出場も初体験。チーム打率はリーグ4位の2割5分4厘に過ぎず、相手先発によって左の西田真二、右の外国人アレンと4番を使い分けなければならなかったほど。何とか西武と張り合えるのは、赤ヘル野球伝統の機動力、リーグ1位のチーム防御率3.23を記録した投手力ぐらいだった。
そんな広島を、森はしきりに挑発した。マークする選手として正捕手・達川光男を挙げ、「前回もそうだったが、今回も達川の頭脳との勝負。あのリードに裏をかかれないようにしないと」と発言したのだ。
これに達川が「あれはのう、ホメ殺しよ、ホメ殺し。自分が育てた伊東(勤)が上という自信があるから、あんなことが言えるんじゃ」と猛反発。苦笑いして大野が言う。