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米選手団長「俺が死んだらここに骨を埋めて」 世界が愛した名建築「国立代々木競技場」が世界遺産に?
text by
磯達雄Tatsuo Iso
photograph byNanae Suzuki
posted2020/11/11 06:00
建築界のレガシー「国立代々木競技場」は二度目のオリンピックをむかえる今なお高い評価を得ている
米絶賛「自分が死んだらここに骨を埋めてくれ」
設計期間は1年、施工期間は1年7カ月という、通常なら考えられない短期間で国立代々木競技場の建設は進み、1964年10月には無事に東京オリンピックを迎えることができた。
そこでの日本選手の活躍はどうだったのか。第二体育館で行われた男子バスケットボールで日本は出場16チーム中10位と健闘した。一方、第一体育館の水泳競技は、かつては日本のお家芸とされていたにもかかわらず、東京では成績不振に陥り、男子4×200mリレーで銅メダルを獲ったのがやっとだった。
逆に華々しい成果を挙げたのが米国で、13の種目で金メダルを獲得。そのせいもあってか、米国選手団の団長は国立代々木競技場の建築を絶賛し、「自分が死んだらこの飛び込み台の下に骨を埋めてくれ」と言ったとされる。
丹下はもう一人の金メダリストだった
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国立代々木競技場を讃えたのは海外選手だけではない。大会終了後、国際オリンピック委員会は丹下健三にディプロマ・オブ・メリット、すなわち功労賞を授ける。そしてエイベリー・ブランデージ会長からは「スポーツが建築家を鼓舞し、一方多くの世界記録がこの競技場で生まれたことでも分かるように、この作品が選手たちの力をかきたてたと言えるのではないだろうか。この競技場は、幸いにも大会に参加できた人びと、また観戦することのできた美を愛する人々の記憶の中に、はっきりと刻み込まれるであろう」と賞賛のコメントをもらっている(※3)。
五輪後に丹下が受けた賞はこれにとどまらない。1965年には英国RIBAゴールドメダル、1966年にはアメリカ建築家協会よりゴールドメダルを受賞した。1964年の東京五輪で金メダルを獲った日本人は、男子の体操、レスリング、柔道、ボクシング、重量挙げ、女子のバレーボールといった競技のアスリートにとどまらない。建築家もまた、金メダリストとなっていたのである。
そして設計の依頼も、世界各国から届くようになった。国立代々木競技場の設計を機に、丹下は建築家として世界のトップグループに仲間入りを果たした。