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米選手団長「俺が死んだらここに骨を埋めて」 世界が愛した名建築「国立代々木競技場」が世界遺産に?
posted2020/11/11 06:00
text by
磯達雄Tatsuo Iso
photograph by
Nanae Suzuki
2020年の東京オリンピック開催に合わせて、競技が行われる施設が整備された。新しく建てられた建物がある一方で、1964年の東京オリンピックで使用された競技会場がいくつも取り壊された。国立霞ヶ丘陸上競技場、渋谷公会堂、江の島ヨットハーバーなどである。
そうしたなかで、1964年東京五輪に際して建てられ、2度目の東京五輪でも使われることになっている施設もある。柔道と空手の会場となる日本武道館と、ハンドボールの会場となる国立代々木競技場だ。2つの施設は2020東京五輪の施設計画でも、「ヘリテッジゾーン」を構成する重要な要素として位置付けられている。
特に国立代々木競技場は、建築として内外から高い評価を受け、世界遺産の登録を目指す動きもある。いったい国立代々木競技場のどのような点が優れているのか、建築の専門家が称賛するのはなぜなのか。
「神宮の森にできた二つの巨大な貝がらのよう」
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「神宮の森に、突然変異でできた二つの巨大な貝がらのよう」
東京五輪の観戦記(毎日新聞1964年10月15日朝刊)で、作家の曽野綾子は、国立代々木競技場の建物をこのように描写している(※1)。当時の名称は国立屋内総合競技場。2つの貝殻のうち、大きい方が第一体育館で水泳競技、小さい方が第二体育館でバスケットボールの会場として使われた。
敷地は明治神宮の南側で、もともとは練兵場だったところ。太平洋戦争後は占領軍の宿舎が建ち並ぶ「ワシントンハイツ」になっていた。その敷地が五輪の開催を機に日本へ返還されることとなり、選手村やNHK放送センターとともに、国立代々木競技場がこの場所に整備されることとなった。