松岡修造のパラリンピック一直線!BACK NUMBER
義足を脱ぐと血だらけ…“世界4位”秦由加子が松岡修造に教える「過酷すぎる」パラトライアスロンの世界
text by
松岡修造Shuzo Matsuoka
photograph byNanae Suzuki
posted2020/11/15 11:00
これまでに数多くの義足アスリートを取材し、義足の歩行体験もある松岡さんもトライアスロン用の義足に触れるのはこれが初めて
松岡:トライアスロンという競技自体、過酷なイメージがありますが、お話を伺っていると痛みのほうが過酷ですね。すみません、ものすごくシンプルに言いますよ。なんで続けられるんですか? 痛いのを我慢しながらスポーツするって耐えられない気がします。
秦:あはは。でも、私、いつか痛くなくなるだろうと思っているんです。だって、トライアスロンを始めた当初は50mとか100m走るだけでも痛かったのが2km、3kmと走れるようになったんですから。ということはハーフマラソンでもフルマラソンでも痛くなくなることは可能だと思うんです。
松岡:自分の足が痛みにたえられるようになるというのもあるだろうし、義足のほうが進化する可能性だってありますもんね。
注射器3本分の膿を抜いて、リオ五輪に出場した
松岡:ちなみにリオパラリンピックのときは“痛いサイン”みたいなのって、あったんですか?
秦:リオ大会は最大級に痛かったんです。本番の3カ月前ぐらいから足の切断部分の状態が悪化して膿が溜まってしまって。1回走っただけで腫れていました。注射器で膿を抜くんですけど、真っ赤な血が混ざった膿を3本分くらい抜きました。
松岡:えっ、注射器3本!?
秦:はい、現地のリオデジャネイロに入ってからもドクターにお願いして溜まった膿を抜いてもらって、もう痛みは仕方ないなって。
松岡:痛みをこらえての6位入賞だったんですね。どんな気分でしたか?
秦:気持ちよかったですね。
松岡:痛いのに気持ちよかった!?
秦:ものすごく気持ちよかったですね。レース前日に膿を抜き切って、最後まで走り切れたという安堵感がありました。サポートしてくれる皆さんがケアしてくれて、義足の調整もレース直前までしてくれて、本当に皆さんのおかげでフィニッシュできました。でもその一方で残念だったのは、海外の選手たちと戦った感覚がなかったことです。リオ大会はレースに出場することが一番の目標で自分の状態も最高じゃなくて、痛みとの戦いになってしまいました。
松岡:ちょっと悔いの残るパラリンピックだった?