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義足を脱ぐと血だらけ…“世界4位”秦由加子が松岡修造に教える「過酷すぎる」パラトライアスロンの世界 

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松岡修造

松岡修造Shuzo Matsuoka

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photograph byNanae Suzuki

posted2020/11/15 11:00

義足を脱ぐと血だらけ…“世界4位”秦由加子が松岡修造に教える「過酷すぎる」パラトライアスロンの世界<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

これまでに数多くの義足アスリートを取材し、義足の歩行体験もある松岡さんもトライアスロン用の義足に触れるのはこれが初めて

:悔いというのとはちょっと違うかもしれません。できる限りのことはやったし、自分の力を出し切ったという思いはあったので、またさらに目標ができたという感じですかね。フィニッシュした瞬間は「ここでは終われない!」という気持ちでした。

松岡:では、東京パラリンピックでは、痛みよりも、もっとライバルたちを感じて戦いたいということですね。

:まさにそうです。今、レースで興奮する瞬間というのはやはり競い合っているときなので。私は水泳出身でトライアスロンでもスイムが得意なんですけど、1番で水から上がってもバイクとランでひたすら抜かれて順位を落とすというのがお決まりのパターンでした。それが今は順位が落ちても抜き返せるようになってきて、「世界の中で戦っているんだ」という感覚が持てるようになってきました。

(構成:高樹ミナ)

 #2 3児の父・松岡修造に“世界4位”秦由加子が語った「13歳で右足を切断した日」に続く

秦由加子(はた・ゆかこ)

1981年4月10日、千葉県生まれ。13歳で骨肉腫を発症し、右足の大腿部切断を余儀なくされる。07年に10歳まで習っていた水泳を再開。ロンドンパラリンピックへの出場を目指したが叶わず、13年にパラトライアスロンに転向。わずか4年で16年リオパラリンピックの日本代表に選出され、日本選手最高の6位入賞を果たした。現在は世界ランキング4位につけ、東京パラリンピックでのメダルを狙う。クラスはPTS2。キヤノンマーケティングジャパン・マーズフラッグ・稲毛インター所属。

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