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新しい地図・稲垣吾郎×パラ卓球 “魔法使い”だった卓球のイメージが変わった? 

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2020/11/02 11:00

新しい地図・稲垣吾郎×パラ卓球 “魔法使い”だった卓球のイメージが変わった?<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

パラ卓球の魅力に迫る稲垣吾郎(左)。世界ランク3位の岩渕幸洋は「ひと目で長所と短所が分かる」と語った

岩渕が卓球を始めたのは中学生

稲垣 なるほど、卓球でも手打ちはダメということですよね。岩渕選手は中学校で部活動にはいって卓球を始めたそうですが、卓球選手のイメージからするとやや遅いような気がします。

岩渕 そうですね。張本智和選手ら、健常者のトップ選手たちは小学校入学前には始めていたのが当たり前という感じですから、僕はかなり遅い方です。

稲垣 福原愛さんも早かったですね。

岩渕 卓球は他のスポーツに比べて体格差が競技力を左右しにくいんです。身体が小さくても足を動かせばボールに手が届く。パワーよりも、ラケットのわずかな角度や出し方にテクニックのある選手が勝つことも多いですし、若くても上位に行けます。僕のクラスのチャンピオンも、リオで優勝したときは16歳でした。

稲垣 パラの大会に出始めたのは?

岩渕 中学3年生からです。地域のスポーツクラブで習ったときに「君もパラの大会に出られるんじゃない?」と声をかけていただいて。それまでは自分が障がい者という認識が全くなかったので普通にやっていました。両足首の可動域が狭いという足の障がいは生まれつきなんですが、スポーツは得意で、足が悪くて駄目だなと思ったことはあまりなかったんです。

稲垣 でも、専門家の目から見たらパラでできるんじゃないか、と。言われた時は驚きませんでしたか。

岩渕 びっくりしました。パラリンピックってその当時は今ほど有名ではなかったので、漠然と車いすの方の大会なのかなと。自分がそこに出ていいのかなという気持ちで最初の大会に出たんですけど、全く勝てなくて……衝撃を受けました。

稲垣 勝てなかったんですか。

岩渕 パラの選手は自分の障がいの特性に合わせて、特殊な用具を使ったり独特な戦術を立てるのですが、それに全然対応ができませんでした。そこから、自分だったら何が武器にできるか、この弱点を突かれてしまうならどう返したらいいのか、と考えるようになっていきました。

パラ卓球のクラス分けって?

稲垣 岩渕選手は「立位クラス9」とのこと。パラ卓球は全部で11クラスあるそうですが、どういう分け方なんですか。

岩渕 陸上競技は手や足など障がいがある部位ごとにクラスが分かれますが、卓球の場合はその障がいがプレーにどれだけ影響するかで決まります。だからひとつのクラスの中に手や脚などいろんな障がいの人がいて、できることもできないこともまったく違う。僕のクラスだと、ラケットを持たない方の腕が肩から切断された選手もいて、彼らは僕と違って両足は健常なので、台から下がって大きな動きができるんですよね。

稲垣 卓球って下がる動きがありますよね。後ろでずっと粘っている人もよく見ます。

岩渕 僕の場合、後ろに引いて守る戦術はマッチしません。踏ん張りが効かず、パワーも出しにくいので、粘るタイプの選手もやり辛い。なので、なるべくコンパクトに闘い、自分の展開に持って行くために卓球台の前で早めに仕掛けていく「前陣速攻型」なんです。

稲垣 自分ができることと、できないことをちゃんと見極めなきゃいけない。できないことはちゃんと認めて、得意なことを武器にしていく。これって色んなことに通じる人生訓ですね。弱点を冷静に認めた上で自分の戦術にあわせてスキルを上げていくというのはすごく知的だなぁ。

【次ページ】 弱点を攻めるのは、卑怯ではなくセオリー

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