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「まさか」か「やはり」か…なぜ慶大・清原正吾をドラフトで指名しなかった? 父が所属した3球団のトップを会場で直撃!「それはちょっと…」
posted2024/10/25 17:01
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph by
Shigeki Yamamoto
ドラフト会議開始から約3時間。育成ドラフトが半ばを過ぎても、会場には緊張感が残っていた。例年なら本指名終了とともに退出して監督や球団首脳の取材にあたるスポーツ紙の記者も、数名が会場に残って育成指名の成り行きを見守る。理由はただ一つ。清原和博氏の長男、清原正吾内野手(慶大)を指名する球団はあるのか。僅かに可能性が残る“その瞬間”を見逃さぬよう、待機していたからだ。
楽天、中日、日本ハム、DeNA……。育成指名を打ち止めた球団首脳やスカウトが、次々に会場を後にしていく。最後に残ったのは四軍制を敷くソフトバンク。育成13巡目を指名後に「選択終了」を宣言し、2024年ドラフト会議は幕を閉じた。
指名を受けた支配下69人、育成で54人の計123人の中に、「清原正吾」の名前はなかった。会場の記者たちの反応は「まさか」ではなく、「やはり」。やっぱり、なかったか……。球団首脳や各スカウト、アマチュア側からの情報をすり合わせて臨む記者たちの見立ても、そもそも「指名されればサプライズ」だったということだ。
清原和博が所属した球団を直撃
父子二代、壮大な白球の物語を紡ぐ清原正吾は、なぜ指名されなかったのか。僅かでも指名される可能性はあったのか。「指名した選手」ではなく、「指名しなかった選手」のことを聞くのはナンセンスだとは百も承知で、質問をぶつけた。
「ああ……それはちょっと」
申し訳なさそうに言葉を詰まらせたのは、埼玉西武ライオンズの広池浩司・球団副本部長兼編成統括だ。父・和博氏はPL学園から1986年にドラフト1位で西武に入団。11年間在籍し、黄金期の主軸として8度のリーグ優勝に貢献した。就任したばかりの西口文也・新監督とも現役時代は2年間チームメートだったが、指揮官初年度にその縁が再びつながることはなかった。
和博氏が現役時代の最後に所属したオリックス・バファローズの福良淳一GMは「どうなんでしょう……」と苦笑いを浮かべた。
「自分は(正吾の)バッティングは見てないのでなんとも。担当に任せていますから、ということしか言えないです」