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14歳で四段の藤井聡太二冠は別格「プロ棋士になれる人となれない人の決定的な差とは?」“教授”に聞く 

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小島渉

小島渉Wataru Kojima

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posted2020/10/11 17:02

14歳で四段の藤井聡太二冠は別格「プロ棋士になれる人となれない人の決定的な差とは?」“教授”に聞く<Number Web> photograph by KYODO

14歳の12月にプロデビューした藤井聡太現二冠。加藤一二三との62歳6カ月差対局を制した

勝又 三段リーグは18局指して、上位2名が上がります。そして、同じリーグ成績が何人も出た場合は前期の成績に基づいた順位が優先されます。つまり、順位が上というのは1勝の価値を持つことがあります。だから上がり目がなくても、来期のために少しでも順位を上げるため、勝たないといけないのです。棋士の順位戦と同じなんですよ。

 この順位というのは恐ろしくて、何年も引きずることがあります。僕は1995年に13勝5敗(リーグ順位・4位)で上がりましたが、同じ13勝5敗の近藤正和くん(現六段)はリーグ順位が5位で昇段できませんでした。この順位1枚の差、実は2期前の三段リーグの勝又―近藤戦で僕が勝ったからついたんですよ。その直接対決で近藤くんより順位が上になり、2期後に僕が四段昇段できたんです。もし、あのときの勝敗がひっくり返っていたら、僕はプロになれなかったんですよ。私はこのことは全く知らなくて、四段昇段のお祝いの会でお世話になっている人から指摘されて、一気に酔いが醒めたのを覚えています。

 私は近藤君と奨励会入会が同期なのですが、この話をできたのは今年でした。それぐらいデリケートな話題なんです。

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――小中学生から20代半ばまで懸けてきたのに、棋士になれないかもしれない。その不安のなかで将棋を強くならないといけないから、純粋に楽しんでいた将棋とは違いますよね。

勝又 そこにあるノートは、あのころの研究会のものです。メンバーは岡崎洋(現七段)、勝又、中座(真七段)、瀬川(晶司六段)です。みんな同世代で、年齢制限による退会がちらつくメンバーでした。この研究会は、僕の年齢制限が1年を切ったくらいに中止にしたんですよね。みんな崖っぷちのメンバーだから、三段リーグで当たるのはバツが悪かった。仲間だけど、競争相手だからね。

 結果は岡崎、勝又、中座の順で三段リーグを抜けました。みんなギリギリの26歳ですよ。岡崎さんはドラマチックで、当時は勝ち越しによる延長規定がなかったから、最終局は四段か退会かの大一番でした。中座さんは最終局で競争相手が3人全員敗れたからプロになれた。瀬川さんは退会になってしまったけど、アマチュア代表でプロ公式戦に出場して好成績を上げて、嘆願書を提出して特例のプロ編入試験を受けることができた。四段デビューは35歳ですから、退会したあとも将棋を続けて実力を上げていったのが分かります。瀬川さんがきっかけで年齢を問わずに受験できる編入試験制度が生まれて、今泉健司五段や折田翔吾四段が続いたんですから、いまとなっては当時に想像もしなかったことが起きたと感じます。

――一般的には、幼少期から好きなことを職業にした棋士はかっこいいのかもしれません。でも、勝又七段の話を聞くと、スムーズな道のりではないのが伝わってきますね。出会いから三段リーグ突破まで、偶然がいくつも積み重なったわけですか。

勝又 そう。だから自分がプロになれたのは、運がよかったからとしかいえないです。

【前編を読む】藤井聡太二冠は進学校だけど…「将棋は偏差値が高い子どもが有利?」「理系と文系で差は?」“教授”に聞く へ)

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