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勝っても勝っても疑われたキタサンブラック セントライト記念で「してやったり」
text by
平松さとしSatoshi Hiramatsu
photograph bySatoshi Hiramatsu
posted2020/09/18 19:00
連続勝利でも支持を得られなかったキタサンブラック。セントライト記念が転機となった
デビュー以来、初めての惨敗
こうして完全にクラシック戦線に乗った同馬だが、皐月賞(GI)でドゥラメンテの3着に敗れ、初めて土がつくと、続く日本ダービーでは14着。デビュー以来、初めての惨敗で、勝ったドゥラメンテとの差は皐月賞よりも開いてしまった。
ちなみに皐月賞と日本ダービーに於けるキタサンブラックはそれぞれ4、6番人気だった。勝っても勝っても、好走しても好走しても、それほど人気にならないタイプの馬は時おりいるが、この馬も正にそういう感じの馬だったのだ。
好走を繰り返しても人気にならなかった理由
さて、当時のキタサンブラックが好走を繰り返してもなかなか人気にならなかった要因の1つとして、血統的な背景が考えられた。
父はブラックタイド。その父母はそれぞれサンデーサイレンスとウインドインハーヘアだからあの名馬ディープインパクトの全兄にあたる。もっとも三冠ばかりかジャパンCや有馬記念も制して7つのGIを勝ったディープインパクトと違い、ブラックタイドの主な勝ち鞍はスプリングS。22戦の競走馬人生の中で3勝を挙げたが、GIには縁がないままその現役生活を終えていた。
そんな地味な父方に加え、母方の血がキタサンブラックを評価するにあたり、少なからず影響を与えていたのは間違いないだろう。
母はシュガーハートで、その父はサクラバクシンオー。1993、94年とスプリンターズS(GI)を連覇した名スプリンターだったのだ。
先述した通り、デビュー戦から日本ダービーまで、キタサンブラックが走ったのは1800~2400メートル戦。快速でならした母の父にとっては、長過ぎるという判断を多くの評論家やファンが下した結果が、どれだけ素晴らしいパフォーマンスを披露してもそれほど人気にならないという現象につながったのだろう。