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内田篤人が引退を告げ、盟友・遠藤康が引き留めた最後の“さしメシ”「せっかくならデザート頼もうよ」
text by
池田博一Hirokazu Ikeda
photograph byAFLO
posted2020/09/16 11:50
内田は2006年に、遠藤は2007年に加入。紅白戦ではマッチアップする機会も多かった。
3連覇は「守備力のおかげ」
ピッチ上では真剣に向き合い、互いに実力を認め合った。加入初年度からクラブで定位置をつかんだ内田は、対戦して嫌な選手を聞かれると、いつも遠藤の名をあげた。それはドイツから復帰後も変わらなかった。遠藤にとっても同じだった。
「初めて会ったときは(内田のポジションが)サイドハーフで攻撃がすごいという印象だった。でも、鹿島に入った1年目のうっちーを見たときに思ったのは、“守備がすごい”。ひさしぶりに会って、今までとは全然違う、成長したなと思った。まず抜かれない。“あいつは抜かれないから大丈夫”というイメージになると、周りも動きやすい。サイドハーフは戻らなくて済むし、取ったらすぐカウンターに移れる。センターバックにとっても、サポートへ行かなくても中をしっかり守っていればいいとなる。いつからか攻撃がクローズアップされていたけれど、俺はずっと守備がすごいなと思っていた。3連覇ができたのも、うっちーの守備力のおかげだと思う」
“やっている人”にしかわからない貢献度
アントラーズで日々の練習をともにするようになり、当時はサブ組の左サイドハーフに入ることが多かった遠藤は、スタメン組の右サイドバック内田と紅白戦でマッチアップを繰り返した。
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「まずトラップがうまいよね。よくあそこでボールを持てるなと思う。すごく嫌なところでボールを持つから飛び込めないし、かといって飛び込まなかったらワンツーでやられる」
プロの世界で見た姿は、高校時代のそれとは違っていた。内田はリーグ3連覇や日本代表として実績を残し、'10年にドイツのシャルケへ移籍。内田の帰国時に食事をともにするたび、遠藤は大きな刺激をもらった。'18年、内田がアントラーズ復帰を果たし、2人は再び同じクラブでプレーする仲間になった。
「いやあ、帰ってきたときはうれしかったなあ。“俺、帰るわ”って連絡をくれて。うっちーは、やっている人にしか分からない貢献度がある選手。分かりにくい部分を絶対にさぼらない。とにかく気が利く。プレーしている選手にとって気が利くということは、試合を勝ちに持っていける選手ということなんだよね」
お互いを認め合っているからこそだろう。これまで遠藤は内田に、内田は遠藤に、怒ることもほめることもなかったという。2人はアントラーズの選手として、常に求められる勝利に対して真摯に向き合い続けた。