オリンピック4位という人生BACK NUMBER
<オリンピック4位という人生(終)>
リオ五輪 7人制ラグビー桑水流裕策
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byJMPA
posted2020/08/30 20:00
南アフリカとの3位決定戦に挑んだ7人制ラグビー主将の桑水流裕策(右)。
リオ後もセブンズの環境は同じだった。
「相手も6試合目なのに、あのスピード、コンタクトスキルを出せる。メダルを取るために強度を上げて練習してきたつもりでしたが、最後は体がついていきませんでした。何度も何度もこの舞台に立たないと破れない壁なんだなと痛感しました」
ただ、今まで誰も到達したことのない高みに旗を立てたという自負はあった。誇るべき一歩。彼らは日本のラグビー史上最高の4位という結果を持って帰国した。
そして桑水流は代表を退いた。
だが、祭典の後に広がっていたのは、これまでと何ら変わらない光景だった。相変わらずメンバー招集もままならず、設備も環境もかつてと同じセブンズの姿があった。
「何も変わらなかった。少なくとも当時の私にはそう見えたんです。帰国してからオリンピックの3位と4位の差を思い知りました。メダルを取っていればもっと違っていたんじゃないかと……」
それから桑水流は後悔に襲われていく。
あの夜、ゲーム前の円陣で「勝てばメダルだ!」と口にしなければ、チームはいつも通りに伸び伸びとプレーできたのではないか。もう少し声の連携をしていれば、後半に奪われたトライは防げたのではないか。
繰り返し襲ってくる後悔の中で、桑水流は代表に戻ることを決意した。
「もう一度、チャンスをください」と代表の新ヘッドコーチ岩渕に頭を下げたのだ。
チームに戻り感じた、わずかな変化。
ここで問いは振り出しに戻る。
そうまでしてセブンズに身を捧げてきた男の心が、なぜ今、折れてしまったのか。
「何と言えばいいんでしょう……」
一言、一言、決意を持って話してきた口調が揺れる。酷な問いかもしれない。人の心にすべて説明がつくはずもない。
ただ桑水流はしばらくして何かに納得したように言った。
「変化がないわけではなかったんです……」
リオの後、所属していた実業団を辞めて、ラグビー協会と7人制の専任契約を結ぶという選手が現れた。
桑水流が数年ぶりに戻ってみると、代表にはチームソングができていた。
「東京五輪を想定した合宿の最後に皆が円陣を組んで歌っていました。私はそれを外から眺めていて、セブンズにもチームソングができたんだと初めて知りました」
わずかだが変化は確かにあった。そして、その小さくも大きな一歩は桑水流が捧げた15年間がもたらしたものでもある。