野ボール横丁BACK NUMBER
変えられたのは甲子園の方だった。
磐城に大声援が必要なかった理由。
posted2020/08/15 17:45
text by
中村計Kei Nakamura
photograph by
Naoya Sanuki
4日目第2試合、磐城と国士舘の試合は、「無観客」であるこがまったくと言っていいほど気にならなかった。
試合開始直後、一塁側のあまりの声量に、思わず、磐城だけ特別に大応援団の入場が許されているのかと思った。
センターの馬上斗亜が言う。
「最後の試合なんで、全力で勝ちに行きました。甲子園で、吹奏楽の大応援の中でプレーすることを楽しみにしていたんですけど、静かなら静かで、仲間を近くに感じられるし、声も選手に届きやすい。声を出して、ベンチの力で打たせてやろうと思っていました」
磐城は元気なだけでなく、とにかく楽し気だった。レフトの清水真岳が話す。
「僕たちは21世紀枠なので、東京チャンピオンの国士舘ははるかに格上。技術や力でかなわないぶん、スマイル、スマイルでやろう、と。勝っても負けても最後なので、結果は気にしていなかった」
大声援はなくとも、磐城は磐城だった。
この夏の交流試合は、もし、大声援があったなら……、と思えるシーンがいくつもあった。大声援があれば、あの大飛球はスタンドまで届いていたのではないかとか、大声援があったならもう一歩足が動いてアウトにできたのではないか、とか。
ところが磐城の選手たちは、そんな大声援などなくとも、じつにきびきびとグラウンドを駆け回った。
ライトの竹田洋陸が話す。
「現地で応援してくれてる人がいる。実際には球場に来てなくても、その気持ちは受け取っているので」
「ばん高」、あるいは「いわ高」の愛称で親しまれる磐城高校は、県内有数の進学校でありながら、古くは1971年の選手権大会で小さな大エース田村隆寿を擁し準優勝するなど野球の強豪校としても鳴らした地元の誇りである。