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体操になぜ採点があるのだろう。
漫画『ムーンランド』で考える。
text by
松尾奈々絵(マンガナイト)Nanae Matsuo
photograph by©山岸菜/集英社
posted2020/08/20 07:00
主人公のライバル、堂ヶ瀬朔良の平行棒の演技。体操選手たちが何をしているか、どこが難しいか、そしていかに美しいかが伝わるシーンが目白押しだ。
大会へ向け一致団結……ではない。
『ムーンランド』のもう1つの美点は、部活のメンバーの目標を無理に統一しようとしないことだ。スポーツ漫画の多くは「同じ目標に向かって頑張る」状態をよしとする。当初はバラバラだったメンバーを、大会などに向けて1つにしていく過程が描かれることも多い。
しかし『ムーンランド』の主人公たちが所属する兎田高等学校体操部の部長浅沼達也(通称:タッツン)はそれをしない。
大会よりも1人の方が自然な演技ができると悩んでいる主人公に対して「目標は違っても一緒に体操はできる」と伝え、無理に引き込むのではなく、共通する部分を探ろうとする。個人の背景や事情を尊重することで、体操へのモチベーションの個人による違いも際立つ。
体の感覚は自分だけのものだから。
「この体を動かせるようになりたい 全部 100% 思い通りに そういう自由がぼくは欲しいんだ」
ミツがそう思うようになったきっかけとして、自分が大事に思う「虫」「流れていく雲」「虫食いの葉っぱ」「キラキラした瓶の蓋」などを、周りの人も大事にしてくれるとは限らないことに気づいた場面が描かれる。
さらに母親の死という自分にはどうしようもない理不尽さに直面する中で、自分の体の感覚だけは「僕だけが大事にできる」と、体操に熱中するようになる。
一方ライバルのさくらは、中学生の時に団体戦で自分の失敗が原因で負けたことを抱え、自分にも他人にも結果重視の体操を求めている。優秀な兄や厳しい父に負けないよう、自分の限界を超えるために自分と闘いながら体操に打ち込んでいる。