野球善哉BACK NUMBER
公立でも複数の投手は育てられる。
甲子園中止が可能にした新采配。
posted2020/08/02 08:00
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph by
Hideki Sugiyama
甲子園及び地区大会の中止に伴い各都道府県で開催されている独自大会が活気づいてきている。
特に目立つのが選手交替の多さである。「甲子園」という一大目標がなくなり、区切りの大会を3年生のために開催する側面が強いこの大会の性質上、多くの指導者たちが目指しているのが全員出場だ。
かつて「公立校には投手が複数いないから球数制限の導入は適切ではない」という論が展開されたことがあったが、今年の独自大会を観る限り、もはやその言説は覆されたといってもいい。
怪物と騒がれるスーパースターも、公式戦で一度も登板したことがない控え投手も、それぞれに努力をしている。能力によって試合出場時間に違いがあるのは仕方ないが、努力の成果を発揮する場が平等にあるのは喜ばしいことである。
試合に出られないのは「いい経験」か。
ただ、今年の采配や指導者たちの暖かい眼差しを見ていると、逆にこれまでの高校野球がいかに勝利を最優先とする風土で行われてきたかを痛感させられる。トーナメントの一発勝負では、采配はどうしても目の前の勝利に固執せざるを得なかったということだろう。
「(試合に出られないという)悔しい思いをするのも必要です」
そう語っていたのは、日本高校野球連盟の八田英二会長だ。
チームを勝利に導けない投手はマウンドに上がれない。「高校野球は教育の一環」と語る組織のトップがそう語るのだから、高校野球の歴史がいかに勝利優先だったかがわかるというものだ。
しかし一方で、エースと呼ばれる選手たちが大きな代償を払ってきたのも事実だ。近年声高に言われるようになっている投手の登板過多もその一例だろう。