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<オリンピック4位という人生(12)>
北京五輪 女子卓球・福岡春菜 

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鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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photograph byAFLO

posted2020/07/05 09:00

<オリンピック4位という人生(12)>北京五輪 女子卓球・福岡春菜<Number Web> photograph by AFLO

韓国との3位決定戦、2連敗で追い込まれた3戦目のダブルスを平野早矢香(右)と戦った福岡春菜。

宝物に見えた「PF4」ラケット。

 当時、四天王寺の選手たちが練習のために通っていた「王子卓球センター」。

 福岡はそこでレギュラー選手の練習相手をすることになった。大阪阿倍野区の路地裏に佇む古びた平屋建ての戸を開けると、そこに作馬六郎がいた。

 本業は八百屋の主人。だが、趣味が高じてセンターに通ってくる子供たちを教えはじめ「王子卓球クラブ」をつくると、その選手たちが奇妙なサーブを武器にして全国大会で快進撃を繰り広げたのだ。

 作馬の名は「王子サーブ」とともに卓球界の異端伯楽として知れ渡った。

「私は野球少年がイチローさんに憧れるように、王子クラブ出身の岡崎恵子さん、武田明子さん(ともに元日本代表)に憧れていました。だからあのとき、これだという予感があったんです」

 福岡は作馬に王子サーブを教わりたいと訴えた。そんな何度目かのアタックのときに作馬から「ほいっ」と一本のラケットを渡された。王子サーブを打つための「PF4」というレトロな型のラケットだった。誰かが使ったものだったのだろう。ラケットは古びていて、傷もあった。ただ、福岡にはそれが人生を変えてくれる宝物に見えた。

「ああ、憧れの人たちと同じなんだ。私も同じプレーができるかもしれないんだって、すごく嬉しかったんです」

 事実、その日から世界は変わった。

 他人にあって自分にないものばかりを見ていた少女は、自分だけにしかないものを探すようになった。

「私はラリーを続ければ誰に対しても分が悪いんです。だからサーブから3球までに決める。相手の回転を利用して受けづらい球を返す。それを追求したんです」

磨いた王子サーブと10歳の愛ちゃん。

 当時、多くの選手は強くて速い球を打とうとした。そのためラバーを貼るのに高反発の接着剤を用いたが、福岡は逆にそれを使用せず、極力ラバーを薄くした。

「木の板で打っているような感覚です。まわりがみんな150kmの豪速球を投げている中で、私だけ超スローボールを投げているようなものでした」

 カーン、カーンと強く高い音が響く試合場でひとりパチャン、パチャンと鈍い音をさせて打つ。まわりはそんな福岡と、時代に逆行するようなラケットを「邪道」だとか「おもちゃ」と揶揄したが、福岡はその度に心の中の反骨を研ぎすませた。

「返せるものなら、私のサーブ返してみなよって。内心そう思っていました」

 ボールを身長より高く投げ上げ、屈伸するようにしゃがみこんで打つ。その独特のフォームがリーチ、上背、パワーを補い、驚異的な回転を生み出す。福岡は王子サーブに没頭し、自分のものにしていった。

 当時、王子センターには10歳でプロになった福原愛もサーブを習いにきていた。福岡は練習相手として何度も「愛ちゃん」と対戦したが、一度も勝てなかった。

 自分より4つ下の愛ちゃんは15歳でアテネ・オリンピックに出た。天才少女が歩んでいるのは王道だった。五輪とはそういう人間のものだと考える人は多かった。

 ただ福岡は王道でなくとも五輪へと通じる自分だけの道があると考えることができていた。その道を明示してくれたのが作馬のサーブであり、あのラケットだった。

【次ページ】 「団体戦の秘密兵器」

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