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「早く日本が負ければいいのに」卓球・福岡春菜の“団体戦4位”というトラウマと4年後の“福原愛ちゃんのひと言”《連載「オリンピック4位という人生」2008年北京》
福岡春菜にとってオリンピックの記憶は長らくプレーそのものではなく、敗れた瞬間の自分の心模様だった。
なぜあんなことを考えたのか。
残っているのはそればかりで、どんな球を打ち、どのように敗れたのかはほとんど覚えていない。それだけ許しがたく重大で、人生に多くを投げかけた瞬間だった。
「あの最後の一本、私は自分がミスして終わりたくないという、しょうもない考えしか持てなかったんです。あの瞬間は……、忘れたくても忘れられません」
2008年、北京五輪。
卓球女子団体の銅メダル決定戦を翌日に控えた夜、福岡は選手村のベッドに入っても寝つくことができなかった。
頭にあったのは2日前の韓国戦だった。一次リーグ最終戦、日本は完敗した。
「あれ、こんなに簡単に負けるの? というほど何もさせてもらえませんでした」
20歳になる天才少女・福原愛を中心とした日本代表は卓球界初のメダルを期待されていた。そんな状況でライバル韓国に完敗したのは誤算に違いなかった。ただ結果以上に福岡を苛んでいたのはその内容であり、自分の内面と言ってもよかった。
平野早矢香と組んだダブルスで福岡はほとんど何もできなかったのだ。
「自分が一番自信を持っているサーブで崩せる気がしなかった。読まれている感じでチャンスボールもほぼありませんでした。とにかくボールが重くて、重くて……」
韓国のペアとは五輪の2カ月前に戦ってほぼ互角の勝負をしたはずだった。それがなぜ短期間のうちにこうなってしまうのか。相手が素晴らしいのか、それとも自分のせいなのか。卓球選手として自分を生かしてきたサーブはいつから死んでしまったのか。
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