Number ExBACK NUMBER
佐藤勇人のサッカー人生の宝物。
「オシムさん、また叱ってください」
text by
田村修一Shuichi Tamura
photograph byTamon Matsuzono
posted2020/06/06 11:45
オシムによって主力に定着した佐藤は、2005年キャリアハイの活躍でクラブ初タイトルに大きく貢献した。
「何でもオシムさんと比べちゃ駄目だよ」
――そこの答えを自分たちで出すのがなかなか難しい。
「今はクラブの中にもオシムさんと一緒に過ごしたメンバーは少なくなっていますし、新しい時代、クラブの歴史を作っていかないといけない。ただそれでもオシムさんが残してくれたものは宝物だと思っていますし、変えることもできないし、手放す必要もない。新しい歴史を作っていく中に、それをどう入れていくのかが自分のミッションだと考えています」
――勇人さんがクラブに残っているのは、クラブの未来を託されているからだと思います。誰かが核になり柱になって一つの道筋を作らないと、クラブは強くならないし安定しない。
「そこは自分が責任を持ってやっていきたい。自分しか伝えられないこと、オシムさんから学んだことはたくさんあるので、自分が核になってクラブの新しい歴史を築いていきたいなと思っています。
勝った、負けたがあるのがスポーツですし、クラブとしても、そのときどきでどんなサッカーをしたいのか、どういうチームにしたいのか、ひとつの軸を作るというのは難しいことです。それでもひとつの軸を作っていかないと先はないし、それは自分がやるべきだと思っています」
――オシムさんが去った後クラブが苦しくなるのは彼が偉大過ぎるからと言われましたが、彼が去った翌年にはジェフはナビスコカップを連覇しました。その後うまくいかなくなっていくときに、うまくいっていたやり方を知っている人が勇人さんはじめたくさんいたわけですから、それを再現しようとしたり、新しいやり方と組み合わせようとしたり、いろいろ試行錯誤したと思います。今から考えると他にやりようがあったと思いますか。
「難しいですねえ……。当時GMだった祖母井(秀隆)さんは、『何でもオシムさんと比べちゃ駄目だよ』と言っていました。『あの人は違うから』と。それも分かっているんですけど、分かってるけど考えちゃうというか。
今でもそうなんですが、当時のメンバーで話をすると話題の中心はオシムさんになる。『あのときああだったね』とか。過去を美しいものとして取り上げるのはすべてがいいことではないとは思いますが、それでもオシムさんは会話の中心になってしまう。未来の話をしていても、オシムさんだったらこうなりそうとか、こんなことを言うとあの人は怒るかも知れないなとか。
それも含めて自分のサッカー人生と、人としての人生に与えてくれたものはもの凄く大きくて、オシムさんという宝物と一緒に自分の残りのサッカー人生、クラブと歩む人生、自分の人生も歩んでいきたいなと思っています」