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50歳直前までBリーガー、希代の
スコアラーだった折茂武彦の本質。 

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永塚和志

永塚和志Kaz Nagatsuka

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photograph byKYODO

posted2020/05/23 11:40

50歳直前までBリーガー、希代のスコアラーだった折茂武彦の本質。<Number Web> photograph by KYODO

昨年10月に開いた記者会見で、今季限りでの現役引退を表明した折茂武彦。今年5月8日にオンライン開催されたBリーグアワードショー2019-20では、特別功労賞が贈呈された。同月14日に50歳の誕生日を迎えた。

地元ファンからの感謝の念を肌身で感じた。

 もっとも、北海道に渡ってからの苦労は想像を超えた。レラカムイは運営会社の経営悪化でJBLより除名処分となった。それを受けて折茂らは私財を投じてレバンガ北海道を立ち上げた。

 コート上でも、常勝だったトヨタ時代とは勝手が違った。レラカムイ、レバンガの計13年間でチームが勝ち越したのは3度、プレイオフには1度しか進めなかった。

 ただ、北海道へ行かなければ、折茂は“折茂”たりえなかった。

 プロバスケットボールチーム不毛の地だった北海道へ行き、レバンガを設立したことで危ぶまれた球団存続を実現させた。

 胃の痛くなる思いと引き換えに、折茂は地元ファンからの感謝の念を肌身で感じ、初めて自身が「求められる」存在となったことを実感した。それは何物にも代えがたいものだった。

キャリアの最後を、佐古と同じチームで。

 現在はBリーグができ、スター選手、トップクラスの選手が大都市圏以外の、地方のクラブでプレーする例も徐々に増えてきている。JBLのライバル的位置づけとなったプロのbjリーグの誕生と同様、田臥のブレックス入団、折茂の北海道移籍はリーグの全国への拡大と選手移籍活性化の先鞭をつけたと言える出来事だった。

 最初からそういったことを意識していたわけではなかったと、折茂は語る。実際、北海道以外の選択肢も頭にあった。

 それはキャリアの最後を、佐古と同じチームでプレーして終えるということだった。

 折茂と佐古は日本代表では何度も同じユニフォームを身にまとってはいたものの、普段のリーグではライバルチームに所属した。しかしこれは北海道移籍ほど具体的に動いた話ではなかっただろう。佐古が当時、在籍していたのはアイシンシーホース(現・シーホース三河)。トヨタ系列の同軍への移籍は、折茂に言わせれば「ご法度」だったからだ。

【次ページ】 「折茂のことを理解できない」時期があった。

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