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50歳直前までBリーガー、希代の
スコアラーだった折茂武彦の本質。
posted2020/05/23 11:40
text by
永塚和志Kaz Nagatsuka
photograph by
KYODO
折茂武彦は、同学年で気心の知れた東野智弥から何度かファミリーレストランへ誘われた。
「毎日、夜中に連絡が来て、必ずデニーズか何かに呼ばれて」
選手としてのキャリアに終止符を打った稀代のスコアラーが5月3日、オンラインで引退会見を開いてから数週間。穏やかな表情の折茂は“当時”を思い出して、そう話した。
当時とは、折茂が27年という長い選手生活の後半生を送ることとなったレラカムイ北海道への移籍を決めた2007年のことだ。
折茂と東野は2001年から04年にかけて、選手とアシスタントコーチとしてともに強豪・トヨタ自動車アルバルク(現・アルバルク東京)に所属していた。2人は日本で開催された2006年の世界選手権(現ワールドカップ)でも日の丸を背負った仲だった。
「日本のバスケットボールを、俺たちの世代で変えないとだめだ」
折茂は東野や、やはり同学年の盟友・佐古賢一とそんな熱のこもった言葉をよく交しあったという。
勝ち負け以外の“何か”が必要。
レラカムイの初代ヘッドコーチ就任が決まっていた東野はチーム編成を考えていたが、北海道という地方の、海の物とも山の物ともつかぬ新規チームだ。勝ち負け以外でも“何か”を求めていく必要性が念頭にあった。
現在は日本バスケットボール協会で技術委員会委員長という要職を担う東野が、熱く振り返る。
「見ていて面白くするための、インパクトのある選手が必要だとなった。僕はその時、2人、可能性のある選手を選んだわけです。それが田臥(勇太、現・宇都宮ブレックス)と折茂だったんですね」
結果、折茂が決断した。彼のトヨタでのチームメイトであり、やはり06年の世界選手権でプレーした桜井良太も運命を共にすることとなった。