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冬季競技もコロナ禍でNTC使用不可。
スノボークロス高原宜希が悩む“夏”。
text by
原山裕平Yuhei Harayama
photograph byPOLYVALENT
posted2020/05/23 18:00
2018-19シーズンのW杯では好成績を残した高原宜希。来年に延期された東京五輪だけでなく、2022年北京冬季五輪を狙うアスリートにも影響は大きい。
大怪我から日本人史上最高の4位。
それでも実質的にワールドカップのデビューイヤーとなった2018-19シーズン。2月にドイツで行われた大会で、日本人史上最高となる4位に入賞。大怪我から見事に復活を遂げた高原は、大舞台でも物怖じせず、その力を証明してみせたのだ。
スノーボードクロスの歴史は比較的浅く、日本でもさほどメジャーな種目ではない。そのため海外に比べコースレベルは高くなく、練習環境もいいとは言えない。
また接触や転倒が頻繁に起きるレース種目のため、体格に勝る欧米選手のほうが有利と言われる。そのなかで決して大柄ではない高原が世界のトップと互角に渡り合ったのは、まさに快挙と言えた。
そして迎えた2019-20シーズン。ワールドカップでのメダル獲得を目指して臨んだ高原だったが、シーズン当初はなかなか状態が上がらず、決勝の舞台に顔を出すこともままならなかった。それでも年が明け、徐々に調子を取り戻しつつあった。
「結果はいつか出ると思っていた」
そんな確信を抱いていたなかで訪れた、コロナ禍だった。
派遣取りやめでシーズンが突然終焉。
ワールドカップ自体は最後まで開催されたが、SAJが日本人選手の派遣を取りやめたことで、高原のシーズンは突如終焉を迎えた。
「大会自体は行われたので、行けないと分かった時は正直ショックでした。ただ、今となっては行かなくて良かったと思っています。残り試合の会場はスイスとスペインだったのですが、ヨーロッパの状況を見れば、賢明な判断だったと思います」
この春、高原は中京大学を卒業し、3月下旬に東京に拠点を移している。都内にあるナショナルトレーニングセンター(NTC)でフィジカルトレーニングを行うためだ。しかしコロナの影響でNTCも閉鎖。東京にいてもトレーニングはできないと判断し、実家のある福井に帰る決断を下した。
「東京での生活は1週間程度でしたね(笑)。福井に戻るのも悩みましたけど、トレーニングする環境が東京にはなかったので、それを求めるのは不要不急ではないと判断しました。もちろん周りに迷惑はかけてはいけないので、2週間は自宅で待機して、家族以外には会いませんでした」