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冬季競技もコロナ禍でNTC使用不可。
スノボークロス高原宜希が悩む“夏”。
posted2020/05/23 18:00
text by
原山裕平Yuhei Harayama
photograph by
POLYVALENT
猛威を振るう新型コロナウイルスは、スポーツ界にも甚大なダメージを与えている。すでに延期が決定した東京五輪はもとより、プロ野球、Jリーグも開催できない状況だ。あるいは甲子園、インターハイと高校生たちの集大成の場も奪われてしまった。他にもこれからがトップシーズンとなる各種スポーツの開催も、見通しは立っていない。
すでにシーズンオフとなったウインタースポーツも例外ではない。
2年後の北京五輪でのメダル獲得が期待されるスノーボードクロスの高原宜希(敷島製パン)は、実家のある福井県でもどかしい日々を過ごしていた。
スノーボードクロスの新星・高原。
長野五輪が開催された1998年生まれの高原が、両親に誘われてスノーボードを始めたのは5歳の時。すぐにのめり込み、自宅から1時間ほどのところにあるスキー場に、毎週のように通った。中学まではスノーボードだけでなく、野球や空手と様々なスポーツをこなしたが、高校に進学すると、スノーボードに専念することになる。
スノーボードは大きく3つの種目に分かれる。技の難易度を競い合う採点種目の「フリースタイル」。タイムを争うスピード種目の「アルペン」。そして障害のあるコースで順位を争うレース種目の「クロス」だ。
当初は「フリースタイル」をやりたかったという高原だったが、福井県にはその環境がなかったことに加え、「採点種目じゃなく、勝ち負けがはっきりしているので自分に合っていると思った」という理由で、16歳の時にスノーボードクロスの道に進むことを選択した。
その才能は、すぐさま開花することとなる。2015年には17歳にして、JSBA(日本スノーボード協会)アマチュアランキングで1位に輝き、同年にプロ資格を取得。国内プロデビュー戦でも優勝を成し遂げ、スノーボード界の新星として、大きな注目を集めた。
その後、中京大学に進学した高原は、SAJ(全日本スキー連盟)ナショナルチームにも選出され、2017-2018シーズンには19歳にしてワールドカップに参戦が決定。ところが初戦となる大会の直前に大怪我を負い、そのシーズンを棒に振ることとなってしまう。