草茂みベースボールの道白しBACK NUMBER
甲子園史に残らない徳島商の優勝。
幻の夏を経験した“元選士”の言葉。
text by
小西斗真Toma Konishi
photograph byKyodo News
posted2020/05/21 11:00
幻の甲子園を制した徳島商の主将・須本憲一は、のちに母校を率いて「甲子園」に戻ってきた。写真は準優勝旗を受け取る板東英二(1958年)。
甲子園の土を踏んだ誇りと喜び。
主催の朝日新聞は、大会回数の継続や優勝旗の使用を申し出たそうだが、国は拒絶した。その「大日本学徒体育振興大会」も、戦局がさらに悪化したことからこの1回限りで終わっている。勝利の証である賞状と優勝旗は、終戦間際の徳島空襲で焼失。
しかし大会史に刻まれることのない「幻の甲子園」の痕跡は、しっかりと残っている。1977年に文部省が新しい賞状と優勝盾を同校に授与。また試合後に審判から渡された優勝記念球(おそらくサヨナラ四球のものか)は、甲子園歴史館に展示されている。
たとえ歴代優勝校としては扱われなくても、「元選士」は「私たちの時代は特別だった。そういう時代もあったのだと(今の高校生にも)思ってもらえれば、それでいい」と証言している。一方で「甲子園の土を踏んだ誇りと喜びがあった」とも。記録には残らないが、思う存分戦ったという記憶は深く刻まれている。
第102回の球児たちが勝って得たはずの「誇り」や「喜び」、負けて知る悔しさや涙はどうなるのだろうか。何十年もたった後「そういう時代もあった」と語らせるのは、心が痛む。