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甲子園史に残らない徳島商の優勝。
幻の夏を経験した“元選士”の言葉。

posted2020/05/21 11:00

 
甲子園史に残らない徳島商の優勝。幻の夏を経験した“元選士”の言葉。<Number Web> photograph by Kyodo News

幻の甲子園を制した徳島商の主将・須本憲一は、のちに母校を率いて「甲子園」に戻ってきた。写真は準優勝旗を受け取る板東英二(1958年)。

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小西斗真

小西斗真Toma Konishi

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Kyodo News

 人類を脅かす新型コロナウイルスは、高校球児から最大の目標を奪い去る。春の選抜に続いて、夏の甲子園も中止が決定した。

 プロ野球はもちろん、甲子園球場よりも長い歴史をもつ。今年の夏は第102回大会のはずだった。ただし、優勝校は延べ99校しかない。足りない2回分は1918年(大正7年)の第4回大会と、1941年(昭和16年)の第27回大会だ。

 第4回は代表校が出そろい、抽選まで済んでいたが、富山県で起こった米騒動が全国に飛び火。選手の安全を保証できないことから、大会直前の8月16日に中止が決まった。

 第27回が中止になったのは、すでに地方大会がスタートしていた7月。軍の移動と軍需物資の輸送を最優先するために、道府県境をまたいでの学徒の移動が禁じられた。これにより、全国規模の大会は開催できなくなった。しかし、防諜面の問題があるとして、こうした決定は詳しく報道されることもほとんどなかったのである。

大会史にない「幻の甲子園」。

 その後も戦時中は中断され、第28回大会が西宮球場で開催されたのは戦後の1946年。つまり大会史に刻まれてはいるが、優勝校が存在しないのが2度。それとは逆に、優勝校が存在するのに大会史から抜け落ちている「幻の甲子園」がある。

 1942年(昭和17年)の夏に「大日本学徒体育振興大会」が開催された。

 主催は文部省(現在は文部科学省)と、その外郭団体の大日本学徒体育振興会。国が主導し、戦意高揚を目的としている。武道など他競技も行われており、イメージとしては戦時色濃厚の高校総体といったところか。奈良県の橿原神宮の外苑運動場で催され、野球の会場は甲子園だった。

【次ページ】 試合開始の合図のラッパ。

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