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内田樹が語る「兵法の危機対応術」。
スポーツとの差、パンデミック対策。
text by
内田樹Tatsuru Uchida
photograph byGetty Images
posted2020/05/16 11:40
武道、兵法の目的は「勝つ」よりも「生きる」に近い。その知恵は勝敗の世界で生きる人間にこそ有意義なものになるだろう。
兵法は「勝負強弱」を論じない。
以下に私がスポーツと対比して語るものは、「我が国固有の文化」ではあるが、「勝敗を競い合う楽しさや喜びを味わう」ためのものではない修業体系のことである。「スポーツとしての武道」との混同を避けるために以下ではそれを便宜的に「兵法」と呼びたいと思う。
兵法極意を論じた澤庵禅師の『太阿記』冒頭には、「蓋し兵法者は勝負を争わず、強弱に拘らず」また「敵我を見ず 我敵を見ず」とある。兵法者は相対的な勝敗優劣巧拙にこだわってはならない。それが第一の教えである。
もちろん「敵」はいる。戦国時代までの兵法者は戦場で戦ったし、江戸時代でも術を試すための命がけの「立ち合い」もあったし、つい75年前までは刀剣を以て人を殺す技術には現実的有用性があるとみなされていた。しかし、それにもかかわらず兵法においては「勝負強弱」を論じてはならないというのが第一の教えである。
兵法者というのはこの「矛盾」を生きる人のことである。「敵に勝つことを目指して修業をしていると敵に勝てない」という背理を正面から引き受けて、この答えの出ない問いを考究し続ける人のことである。私は修業中の身なので、もちろんその答えを知らない。現段階での「個人的かつ暫定的な解釈」しか言えないので、それを申し上げる。
パンデミックも「広義の敵」である。
私にとって修業の目的は「生きる知恵と力を高めること」である。だからもし「敵」という語に意味があるとすれば、それは私が生きる知恵と力を高めようとするときに負の影響をもたらす可能性のあるすべてのものを指す。
それは特定の場所、特定の時刻に設定された対戦相手には限定されない。私自身の臓器の不全も精神的ストレスも加齢も感染症も天変地異も……およそ心身のパフォーマンスを低下させるリスクがあるすべてのものは私にとって広義における敵である。
現に、スポーツの世界でも、世界的なアスリートたちは今挙げたようなものの影響を最小化することに多くの資源を優先的に投じている。彼らは、優秀なトレーナーや練習のパートナーだけでなく、腕のいい広報担当や弁護士や心理カウンセラーを引き連れて世界ツアーに繰り出す。
それはスキャンダルも離婚争議も幼児期のトラウマ的経験も自分のパフォーマンスに決定的な影響を(しばしば対戦相手との力量差以上に決定的な影響を)与えることを知っているからである。それらの「敵」を適切に排除してからアリーナに立ったアスリートは、それらを排除できないまま試合に臨むアスリートに圧倒的なアドバンテージを持つことができる。
とはいえ、ふつうスポーツの世界では加齢やパンデミックや天変地異を「敵」にカテゴライズすることはしない。しかし、兵法の世界ではそれを「広義の敵」と認定する。スポーツと兵法の違いはそこにあり、たぶんそこにしかない。