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“自粛”とリンクする「浪人時代」。
藪恵壹は2007年をどう過ごしたか。
posted2020/05/04 11:00
text by
藪恵壹Keiichi Yabu
photograph by
Getty Images
なかなか出口の見えないコロナ禍。プロ野球は交流戦が中止となり、無観客での開幕も決定的です。2~3月に無観客で行なったオープン戦が盛り上がりに欠けていたことを考えると、個人的にはこの判断を積極的に支持することはできません。でも、開催を優先するのであればやむを得ないとも思います。お客さんのリスクにつながってしまいますから。
選手は当然やりにくいでしょうね……。開幕が本格的に決定するまでは漠然とした目標しか立てられませんし、球団によってはまだ練習もできない状況のようですから、なおさらです。
ただ、野球から離れなければいけないこの状況がもたらしてくれるものもあるというのが、2007年にアメリカでいわゆる「浪人」を経験した私の考えです。
大変だったキャッチボールの相手探し。
私は2005年にオークランド・アスレチックスへ移籍した後、コロラド・ロッキーズ、メキシカンリーグのティファナ・ポトロスとチームを渡り歩き、'07年は無所属の状態でシーズン開幕を迎えました。
4月までは数年間一緒にやっていたトレーナーを頼ってアリゾナで調整し、その後はサンフランシスコの家でトレーニングを積む毎日。しかも、日本で学校が始まる時期に合わせて家族を帰国させていたので、ずっとひとりで過ごしていたんです。
40歳を前にして定年後のような生活を送っていたせいか、外出を自粛している最近でも暇つぶしには困っていません。朝もちゃんと7時に起きていますよ(笑)。
この生活中、もっとも大変だったのはキャッチボールの相手を探すことでした。
自分だけでできるトレーニングにも限界があり、投球の感触も忘れてはいけないので、週2回ぐらいの頻度で投げたいところだったんですが、特にキャッチャーを捕まえるのには苦労しましたね。
阪神時代に一緒だったマイカ・フランクリンが教えている若者を頼ったり、現地の高校生や大学生の選手にスターバックスのプリペイドカードを渡してお願いしたり……。練習場所もなかったので、(サンフランシスコ・)ジャイアンツ傘下のサンノゼの球場やスタンフォード大学のマウンドを借りるなど、できることはなんでもやりましたよ。ゴルフ用のネットを買ってきて、そこに1人で黙々と投げ込むこともありました。
さすがに辛かったですが、野球から強制的に遠ざけられたことで、やりたいという気持ちは強くなりましたし、絶対にこのまま終わらせないという気持ちに支えられましたね。