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久保竜彦の忘れられない左足一閃。
あのチェコ戦が今も心に残る理由。
text by
戸塚啓Kei Totsuka
photograph byAFLO
posted2020/04/28 20:00
久保竜彦は純粋に点を取ることに特化していた。ポリバレントとは程遠いが、それゆえにファンに夢を見させる選手だった。
ジーコ「彼の左足は、大げさでなくワールドクラス」
スケールの大きなレフティーに、誰よりも惚れ込んだのがジーコだった。2004年のシーズン途中から腰痛などに苦しむ久保を、辛抱強く招集していった。「ケガさえなければすごい選手になる。海外でも十分にプレーできる」と話していたものだった。
2006年のドイツ・ワールドカップはグループリーグ敗退に終わり、ジーコは日本代表に別れを告げてフェネルバフチェの監督となる。トルコのイスタンブールへ彼を訪ねると、ジーコの方から久保に話題を向けてきた。
「ワールドカップのメンバーを23人に絞り込むのは、本当に大変な作業だった。連れていきたい選手は、もっとたくさんいたからね。ワールドカップで見てみたい選手もいた。たとえば久保だ。彼の左足は、大げさでなくワールドクラスだよ」
成績以上に、忘れられない選手。
フィリップ・トルシエが指揮した1998年から2006年のドイツ・ワールドカップ直前まで、久保は国際Aマッチ32試合に出場した。2000年のアジアカップと翌年のコンフェデレーションズカップでメンバー入りしているが、どちらも1試合の出場に終わっている。そして、どちらの大会でもほとんどインパクトを残していない。
ワールドカップ出場も逃している。日本代表での足跡は決して色濃いものではないのだが、彼のプレーは忘れられることがない。日本代表のストライカーが語られるときに、日本人選手の身体能力が論点になるときに、左利きのストライカー不足が嘆かれるときなどに、比較対象のひとりとして久保が浮上してくる。
なぜか。
ストライカーとしての血が濃いから、という気がする。すべてが分かりやすい、とも言えるだろうか。システムや戦術に必要以上に縛られることなく、点を取ることにのみ集中しているので、観ているこちらもスッキリするのだ。