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早すぎたリオ五輪の日本人対決。
今も続く奥原希望と山口茜の物語。
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph byShinya Mano/JMPA
posted2020/04/12 20:00
リオ五輪女子シングルス準々決勝で対戦した奥原と山口。2人の戦いは今もまだ続いている。
奥原から初めて奪った「1ゲーム」
これで日本勢初の4強入りを果たした奥原。年下のライバルを下したエースは、メダルに王手をかけた。その後、奥原は準決勝でシンデゥ・プサルラ(インド)に敗れたものの、日本バドミントン界男女を通じてシングルス初のメダル獲得(銅メダル)という快挙を成し遂げた。
それを実現できたのは、奥原自身の努力の結実に他ならないが、準々決勝後、「茜ちゃんがすごく強くて、私も力を出し切ろうという気持ちになった。お互いの力を出し切れたよい試合になった」とコメントを残したように、山口の存在は奥原に少なからず影響を与えていたに違いない。
一方、この試合に敗れた山口は、自身の負けを真摯に受け止めていた。
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「最初から全力で行こうと思って。それは出来たので悔いはないですし、これが今の自分の実力だと思います」
残念ながら、“6度目の正直”とはならなかった。
しかし、振り返ってみると、山口はこの試合まで国際大会で奥原から1ゲームも奪うことさえできていなかった。そう考えると、五輪という舞台で1ゲームを奪取したことは、大きな前進であり、あの「1ゲーム」は山口に少なからず自信を与えたのではないだろうか。
10代で代表入り、ともに156cm。
3学年差の2人はタイプの違うよきライバルとして、お互いに磋琢磨してきた。
奥原は高校2年時の2011年に全日本総合選手権の女子シングルスを史上最年少の16歳8カ月で制すると、’12年秋の世界ジュニア選手権では日本人初優勝を果たした。以降、両膝の故障に悩まされながらも、第一人者として女子シングルスをけん引してきた。
奥原が膝の故障で長期離脱していた’13年に台頭してきたのが山口だった。同年のヨネックスオープンジャパンを制し、スーパーシリーズで全種目を通じて日本勢初優勝を達成。翌年には奥原に次ぐ大会史上2番目に若い記録で全日本総合選手権を制覇すると、一躍、リオ五輪、そして東京五輪の期待の星として注目を集めた。
10代で日本代表入りし、日本の女子シングルスを引っ張ってきた2人。ともに156cmと小柄なところは共通しているが、プレースタイルや持ち味はまったく異なる。フットワークと抜群のスタミナが強みの奥原は、相手が根負けするまでラリーを続ける粘りを得意としてきた。一方の山口はショットの精度と種類の武器に、予想外の攻撃を展開し、世界と渡り合ってきた。