月刊スポーツ新聞時評BACK NUMBER
志村けん、藤浪、塗り絵、五輪延期。
コロナ一色の中に見えた各紙の手腕。
posted2020/04/01 20:00
text by
プチ鹿島Petit Kashima
photograph by
Yuki Suenaga
3月最後の日。スポーツ新聞の一面はすべて志村けんさんだった。
新聞らしい振り返りをしていたのは日刊スポーツの志村さんの足跡記事。荒井注さんに代わってドリフの正式メンバーに抜てきされた日、1974年(昭和49)3月30日の『8時だョ!全員集合』翌日の記事を紹介していた。
《翌31日付の日刊スポーツは「印象が薄い新参・志村」と報じている。当時の「全員集合」は高視聴率のおばけ番組で、TBSが民放の雄として存在しているのは、同番組とドラマ「ありがとう」のおかげと解説。荒井さんの降板を機に、ライバル局のプロデューサーによる視聴率は落ちるとの見方を紹介している。》
志村さんは最初から順風満帆ではなかった。『東村山音頭』のバカ受けまで2年あまりかかった。江戸川大教授でお笑い評論家の西条昇氏は、
《『東村山音頭』のヒットで、客席から『志村、後ろ後ろ』と声が掛かるようになった。お客さんが志村さんに感情移入した。演者じゃなく、お客さんの言葉がはやって定着したのは、すごく珍しかった。》
と述べている。私も「志村ぁ!」と叫んでいた世代だ。小学生からすればドリフの中で最も若い志村さんは身近に思えた。志村けんは子どもの声援に押し上げられた”ピープルズヒーロー”だったのだ。
その死を伝える各紙は「コロナ」の文字も多かったが、「志村けんがいなくなってしまった」事実がただただ悲しい。
衝撃が走った「藤浪感染」。
スポーツ界もコロナ一色の今月だったが、最新の衝撃は『コロナ陽性…球界初 藤浪感染』(デイリースポーツ3月27日)。
阪神タイガースの藤浪晋太郎投手の感染で注目したのは発熱・せきはなく嗅覚障害を訴えてPCR検査を受けて判明したこと。感染の新たな症状を教えてくれた。デイリースポーツはNBA(米プロバスケ)で最初に感染した選手も同じく嗅覚に異常が生じていたことも報じた。さすが阪神の選手に関する情報は細やか。