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2020年春は「おうちで工藤塾」。
ホークス版オウンドメディアの変遷。
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph byKoutaro Tajiri
posted2020/04/04 08:00
キャンプを中継する球団オフィシャルレポーターの加藤和子さん。今季で14年目のベテランだ。
時代の変化をつくづく感じる。
球団オウンドメディアの強みはやはり、一般メディアが立ち入ることのできない区域での撮影や取材ができることだ。写真や映像の画角がとても新鮮になる。そして、それを行っているのは主に球団の広報担当者だ。チームの一員、つまり仲間として認識をされているからこそ引き出せる表情や言葉がある。
筆者は数年前まで、ホークス球団のオウンドメディアである「ホークスオフィシャルメディア」に身を置いていた。
だからこそ余計に、時代が変わったなぁ、とつくづく感じるのである。
もともとは球団誌の編集部で働いていた。ダイエー時代の話だ。2000年秋創刊の「月刊ホークス」はオフィシャル球団誌で、現在は発行元が「福岡ソフトバンクホークス株式会社」となっている。
しかし筆者が在籍した当時は、編集部も発行元も球団とは全く別だった。「オフィシャル球団誌」を名乗るためのライセンス料を球団に支払っていた。現在も編集・制作は球団とは別の会社が請け負っており、実質的な仕組みは以前と同じのようだ。
他の球団誌にしても、基本的な編集や制作自体は球団外で行われており(新聞社など)、現在の球団オウンドメディアとはちょっと事情が異なる。
プロ野球初のオウンドメディアはSBだった。
球界再編を経て、2005年に親会社がダイエーからソフトバンクに変わった。その少し前に編集部を離れてフリーになっていた筆者に、当時の球団広報部長から声がかかった。
「ヤフーの中で『ホークススペシャルコンテンツ』を作ることになったから、そこで執筆しないか?」
試合の見どころ、そして試合のレビューやヒーローのコラムを書いてほしいという依頼だった。出稿先はヤフーだったが、発注元は球団で、原稿の入稿先も球団広報部だった。それとは別に、ドームのビジョン映像の制作などを行っている会社にも、球団として記録映像を撮影して活用したいという話があった。
これが、プロ野球界に初めて誕生した球団オウンドメディア(ホークスオフィシャルメディアの名称が誕生したのは2007年から)だった。