マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
センバツが必要だったのはむしろ親?
球児を育てることの「苦労と報酬」。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byHideki Sugiyama
posted2020/03/31 08:00
高校野球の主役は生徒である。しかしそこに人生をかけた保護者たちがいることも、また否定できない事実だ。
「あたしだって、こんなに頑張ったんだよ!」
「高校からは寮生活でしたけど、中学までの15年間は、私が大きくしたんですよ。私のご飯で大きくなったんです、あの子は。そのご褒美は欲しいですよ、それが今度のセンバツだったわけでしょ、選手の親御さんたちにとっては」
代替の「センバツ」は、親のために、ぜひあってほしい。
聞いていて、だんだんとかわいそうな気分になってきた。
「あたしだって、こんなに頑張ったんだよ! って思いを吐き出せる場所、欲しいですよ。今、ヒット打ったあの子、ウチの子なんですよ、見てくださいよ! って自慢させてくださいよ。それが私たち、球児の親のせめてもの達成感なんですから。そういう場所作ってくれるんなら、私、仙台でも福島でもいいですよ。仕事休んで、みんなに自慢しながら、朝早く起きて出掛けていきますよ、ビデオ持って、メガホン持ってね」
救われたいのは、親のほうかもしれない。
菊作り 菊見るときは 陰の人
高校は寮だったから、親らしいこと、なんにもしてないしね……。
誰も、夢にも思わなかったセンバツ取りやめ。
私たちのほとんどは気づいていないが、人知れずその心を痛め、救われたいと切実に願っているのは、案外、球児の親たちのほうなのかもしれない。