マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
センバツが必要だったのはむしろ親?
球児を育てることの「苦労と報酬」。
posted2020/03/31 08:00
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
Hideki Sugiyama
センバツが取りやめになって、高野連が「救済策」をほのめかしてみたり、球児OBのいろいろな方が、こんな方法で球児たちの無念を少し晴らしてもらったら……いくつものアイディアが発信された。そんなさなか、救済策なんていらないだろうという趣旨のコラムをこの連載に書いたら、「お前もずいぶんと冷たいヤツだなぁ……」そんな反応も、いくつかいただいたものだ。
いまだに、高野連で手付かずになっているのは、やはり手のつけようのない難題なのだろう。もう誰も、あまり触れなくなった。
そんな折り元甲子園球児の母が電話でこんな話をしてくれた。
「子供たちもかわいそうだけどさ、親の達成感、どうしてくれるのさ! って話だよね」
最初から語気が勇ましかった。
アルプスでセガレの名前を叫ぶという夢。
「子供たちだって、そりゃあ練習だ、試合だって大変だったけどさ。怒鳴られて、バカヤローだのヘタクソだの言われて、耐えて忍んで、やっと甲子園だけどさ。
私たちだって、メシ食わせて、着るもの準備して、高いグローブだのスパイクだの買ってやって、パート2つも3つも掛け持ちで働いてさ。親たちだって、やっとのやっとのことで、甲子園なんだよ」
酔った勢いでもないのに、本音のぶちまけが止まらない。
「アルプスに陣取ってさ、セガレの名前叫んで、写真撮ったって顔もわかんないけど、それでも撮るんだよね、何枚も何枚もさ。それで、打ったとか、打たれたとか、勝って泣き、負けて泣き……それが、球児の親たちの“甲子園”なんだよ。
その楽しみ、奪われちゃったんだもんね。そりゃあ、子供たち以上に辛いよ、ぶつけようがないんだから。大人でしょ、親でしょ、変なことしたら笑われるし、我慢するしかないんだからね」