マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
センバツが必要だったのはむしろ親?
球児を育てることの「苦労と報酬」。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byHideki Sugiyama
posted2020/03/31 08:00
高校野球の主役は生徒である。しかしそこに人生をかけた保護者たちがいることも、また否定できない事実だ。
球児の親が感じている“主役感”。
仙台育英・須江航監督が発案した「東北センバツ」。
東北からセンバツが決まっていた仙台育英、鶴岡東、磐城の3校で、5月に“センバツ”を行おうではないか……球児の母の話は、そちらに飛んでいった。
「子供たちがうれしいと思うのかはわからないけど、親は救われるよー!」
実は球児の親たちの“主役感”というのは、ハタで考えている以上のもののようだ。
「こんな小さい頃からリトル(リーグ)に入れてさ、送り迎えに応援にお茶当番、ケガしたら病院に看病……土日にあたしがやりたいことなんて、一度もやったことないですよ。金かけて、時間かけて、手間かけて、これだけ手をかけて、それでもやられて帰ってふてくされてるから、叩いてやったこともあるんだ」
“甲子園”があるのは親のおかげだと、はっきりと言い切った。
「甲子園がたとえ仙台の球場になったからって、センバツという名前で試合をするんなら、出掛けて行って、セガレの名前叫んで、写真撮って、泣いて笑って……それができるんなら本望。それが球児の親の、親ごころってもんだろうよ」
昔は、子供の部活に来る親は少なかった。
私が高校球児だった45年ほど前、1970年代は、球児の親たちはほとんど息子の部活には無頓着だった。
練習や練習試合を見に来る親など皆無だったし、公式戦を見に来る親も決して多くはなかった。
私の両親の場合も、たしか、2人とも一度も実戦の場には来なかったと思う。それが普通だったし、むしろ「来なくていい」と言う選手の方が多かった。見に来られるのは照れくさかったし、親たちも共稼ぎでたいへんそうだった。