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「あれが浅野拓磨の弟?」という目。
それでも兄は僕にとってヒーロー。 

text by

安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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photograph byKaito Asano

posted2020/03/30 18:00

「あれが浅野拓磨の弟?」という目。それでも兄は僕にとってヒーロー。<Number Web> photograph by Kaito Asano

海外で所属先を模索中だという浅野快斗(右)。現在は、兄・拓磨がいるセルビアに滞在している。

拓磨は僕にとってヒーロー。

「中学生の時までは純粋に拓磨を応援していました。僕にとって最高のヒーローだったし、選手権で準優勝をした時は本当に感動したし、かっこよかった。僕も拓磨のようになりたいと思って、四中工に入ることを決めてサッカーにより打ち込むようになりました」

 広島に進み、リオ五輪にも出場するなど、注目を浴び続ける兄を追いかけていたが、中3になり四中工入りが決まると、大きな変化が生まれてきた。

「僕が四中工に入ることが周りに知られるようになったあたりから、『え、四中工に行くの?』とか、『やっぱり兄を追って入るんですか?』、『兄の影響が大きいのですか?』と必ず聞かれるんです。その通りなんですけど、それ以上に『ああ、世間の目ってやっぱりそこなんやな』と思ったんです。兄の偉大さを痛感すると共に、『兄は関係ない』と相反する気持ちが芽生えてきたんです。それまでは憧れ以外の何ものでもなかったのに」

 浅野拓磨の弟――。入学前からこの枕詞を使われるようになった。入学時、県外から来た選手に「あれが浅野拓磨の弟か」と注目されているのがわかった。しかも快斗がプレーするFWのポジションは最激戦区だった。同じ1年生に森夢真(アスルクラロ沼津)、田口裕也(ガイナーレ鳥取)、和田彩起(元U-17日本代表)などタレントが揃っていただけに、1、2年時はトップチームでの出番がほぼ訪れなかった。

「空回りはたくさんありましたね。入学直後から上手い選手はたくさんいるし、出られる保証はないと分かってはいましたが、本当になかなか出られなくて苦しかった」

2人のアドバイスに「なんやねん」。

 それでも容赦なく「浅野拓磨の弟」という言葉はのし掛かった。

 高3になると、雄也が水戸に入団したことで、快斗は「プロ選手2人の弟」となった。雄也はプロの世界で結果を残し、かつて拓磨が在籍したJ1広島へステップアップするなど、注目度はどんどん上がっていった。一方、自分は高校で試合出場機会こそ増えたが、不動のレギュラーはつかめていない。

「拓磨、雄也は関係なく、自分の人生として真剣に考えて、悩んだ上で四中工でサッカーをすることを決めて入った。自分のことは自分で考えて自分で行動しないといけない。ただ、そう強く思いすぎてしまって、拓磨や雄也が僕のことを考えてアドバイスをしてくれるのに、『なんやねん』と思ってしまっていた自分がいました。拓磨に『スタッフから聞いたで。最近調子いいらしいな』と言われても、『いやいや、知らんやろ』と思ったこともあります。今思うと自分のことを思って、タイミングを見ながら気を使って声をかけてくれていたのに、ちょっと尖っていました」

【次ページ】 短い出場時間でも下を向かない兄。

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