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教え子7人中3人が東京2020へ。
パラ卓球、メキシコで輝く日本人指導者。 

text by

熊崎敬

熊崎敬Takashi Kumazaki

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photograph byJICA

posted2020/02/27 11:00

教え子7人中3人が東京2020へ。パラ卓球、メキシコで輝く日本人指導者。<Number Web> photograph by JICA

パラリンピックの道を切り開いた期待の星。

 ヴィクトルという車イスの選手がいた。施設の中でいちばん強い、期待の星だ。

 そのヴィクトルが、いつからか体調不良に悩まされるようになった。大会に出てもミスが相次ぎ、格下の相手に苦戦する。

「この調子が続けば、パラリンピックは難しいかもしれない。私も気が気ではありませんでした」

 だがやがて、ヴィクトルは回復する。懸命のトレーニングや伊藤さんたちのサポートによって、短期間で本来のパフォーマンスを取り戻した。そしてパンアメリカン競技大会に優勝して、パラリンピックへの道を切り拓いたのだ。

「大会がペルーで行なわれたので同行できませんでしたが、その知らせを聞いたときは部屋の中で雄叫びを上げてしまいました。しかもヴィクトルのほかに、ふたりも勝って。私がかかわった7人中3人が、東京行きを決めたのです。パラリンピックはとても狭き門なので、ほんとうにうれしかった」

 がんばりやの選手たちは、「東京で会おう!」という伊藤さんとの合い言葉を実現させたのだ。

車イスの仲間ともう一度、卓球を。

 昨年10月、任期を終えて日本に帰国した伊藤さんは、メキシコで得たものを次世代に伝える活動を始めた。

「かつて校長をした青森県の中学で、講演をやりました。メキシコで出会った選手たちは、創意工夫を重ねながら自分が持つ能力を出し切って、困難をたくましく乗り越えようとする。生徒たちに映像を見せながら、彼らのポジティブな姿勢について語りました。それは私が学んだことです」

 もうひとつ始めたことがある。

 卓球を一から学び直し、指導者ライセンスを取得したのだ。

「3、4カ月かかって取得しましたが、パラ卓球のライセンスもあることがわかったので、そちらも取ってみたいです。」

 車イスの仲間ともう一度、卓球を――。

 その願いをかなえるために。

企画協力:国際協力機構(JICA)

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