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教え子7人中3人が東京2020へ。
パラ卓球、メキシコで輝く日本人指導者。

posted2020/02/27 11:00

 
教え子7人中3人が東京2020へ。パラ卓球、メキシコで輝く日本人指導者。<Number Web> photograph by JICA

text by

熊崎敬

熊崎敬Takashi Kumazaki

PROFILE

photograph by

JICA

伊藤有信

今回の冒険者
伊藤有信さんYushin Ito

青森県生まれ。38年間県内の中学校で勤務。在職中は卓球部の顧問として県大会や東北大会に多数出場する。県や市教育委員会を経て2014年退職。'17年JICAシニア海外協力隊でメキシコに派遣、大学や障がい者施設で卓球の指導にあたる。'19年10月帰国。

 海外でのスポーツ指導には、若者だけでなくシニア世代も積極的にかかわっている。

 メキシコで2年半活動した伊藤有信さんも、そのひとり。60歳で教員を定年退職し、JICAのスポーツ隊員として現地に渡った。大学で卓球を教えるためだ。

 メキシコで暮らし始めて1年後、パラアスリートの総合練習施設があることを知った伊藤さんは、自ら連絡を取り、卓球選手の練習をサポートしたいと申し出た。

「というのも、私には事故で車イス生活になった日本の卓球仲間がいるからです。彼とまたプレーしたい。ですから、パラ選手の指導を経験したいと思っていました」

 伊藤さんの熱意は関係者を動かし、週に一度、片道3時間かけて施設に通う日々が始まった。

情熱、技量、努力に圧倒された。

 伊藤さんがサポートしたのは男女3人ずつの車イス選手。途中から、右ひざが曲がらない女子選手がひとり加わる。

 チームの一員となった伊藤さんは、選手たちにひたすらボールを打ち続けた。

「コーチが指示するコースに、さまざまな回転の球を打つわけです。選手の要望に応えるときもあります。選手の体調をみながら、3時間ほど続けるのです。」

 日々の練習の中で、伊藤さんは選手たちの情熱に圧倒された。

「メキシコは貧富の差が激しく、多くの選手が恵まれた環境ではありません。施設は全寮制で、国がそれなりに支援していますが、ラケットを買えない選手もいる。ある女性は試合の度にコーチから借りていて、“ラケットを買いたい”が口癖でした。ですからみんな、東京パラリンピックに出て人生を変えたいという思いがものすごく強いのです」

 情熱だけではない。卓球の技量や努力も目を見張るものがあった。

「メキシコの選手は、障がいの有無にかかわらず力強いプレーをします。鍛えあげた上半身を使って、びっくりするくらい強烈な球を打ち込んでくる」

【次ページ】 パラリンピックの道を切り開いた期待の星。

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