“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
鹿島がどうしても欲しかった男。
MF和泉竜司「中核を担わないと」
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2020/02/04 11:40
水戸とのプレシーズンマッチに出場したMF和泉竜司。ACLは敗れたが、Jリーグ開幕へ向けて着々と歩みを進める。
器用だからこそ、悩んだ和泉。
ザーゴ監督のサッカーは後ろからのビルドアップが求められる。特にCBとボランチの関係性からボールを持ち出し、両サイドバックを高い位置に上げる。両サイドハーフはインサイドにポジションを取ったり、縦のバランスを整えて、両サイドと前線の2枚にボールを供給しながら、ゴールに絡む。要するに和泉のポジションはビルドアップ、ポゼッション、そしてアタックの潤滑油にならないといけない重要な役割を担う。
だが、チームが歩き出したばかりの状態で迎えた「負けてはいけない試合」では、想像以上に難しかった。どこまで落ちていいのか、近づいてきたサイドバックを中に入れるべきか、外で使うべきか。FWに対して近づけばいいのか、ギャップに立てばいいのか。戦術眼が高く、どのポジションも器用にこなせる和泉だからこそ、いろんな局面での選択肢が浮かぶが、今はまだどれを選択することがベストか見出せなかった。
「ザーゴ監督の狙いはキャンプで色濃く出ていたので、自分なりに理解していました。だからこそ、自分がいるべきラインを考えながらプレーしました。基本的にサイドハーフはなるべく落ちずに高い位置を取れとキャンプから言われていたので、そこは意識をしていましたが、ビルドアップのエラーがあった時に距離が遠くなり、そこからもう一度作り直す難しさはありましたし、最初はそうなるのは仕方がない部分もありました。ボランチがボールを持った時の顔出しやサポート、背後や3人目の動き。イメージはありましたが、出しきれずに交代となってしまった。
自分はスタメンで出場しましたが、それはもともと在籍する選手たちの合流が遅れたことで人数がいなかったから。まだ本当の意味でのスタメン争いは始まっていない。90分間チームのために戦えなかったことは悔しさがあります。常勝軍団である鹿島にやってきて、最初にこの結果は本当に不甲斐ないです」
エリートが決断した初の移籍。
和泉にとって今回の移籍はプロ入り後、初の経験だった。
三重県四日市市出身の彼は、高校進学時に強豪・市立船橋高に越境入学。すぐにFWとして頭角を現すと、高校2年の時のインターハイでは得点王に輝いて優勝に貢献。最上級生になってからは「10番」を背負い、全国高校サッカー選手権大会優勝に導いた。
当時からプロ注目の選手だったが、卒業後は明治大学に進学。右サイドハーフ、トップ下、FWなどでプレーし、攻撃的なポジションならどこでもこなすユーティリティープレーヤーとしての地位を築いていた。
実はこの当時から鹿島は和泉に注目をしていたという。