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国見史上最も丁寧にノートを書く男、
渡邉大剛の罰走で始まったプロ人生。
 

text by

松本宣昭

松本宣昭Yoshiaki Matsumoto

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photograph byYoshiaki Matsumoto

posted2020/01/23 11:40

国見史上最も丁寧にノートを書く男、渡邉大剛の罰走で始まったプロ人生。<Number Web> photograph by Yoshiaki Matsumoto

国見で生まれた渡邉大剛が、導かれるように小嶺忠敏率いる国見高校へ。その出会いが彼の人生を変えた。

京都のスカウトは“罰走”を見ていた。

 そんな彼の姿を、グラウンドの隅から見つめる男がいた。Jリーグ・京都パープルサンガのチーフスカウト、竹林京介だった。渡邉が、当時を懐かしそうに振り返る。

「京介さんは、2年のころから僕のことを見てくれていたそうなんですけど、あの“罰走”が良かったみたいです。『ちんたら走ろうと思えば、走れる。それなのに、あいつはどれだけ走れるんだ。渡邉大剛、すげえぞ』と思って、獲得に乗り出してくれたらしいんです。あの“ネックレス事件”がなかったら、僕のプロ人生もなかったかもしれないですね(笑)」

 あれから18年。小嶺に“事件”のことを訊いてみた。

「大剛のネックレス、よーく覚えてますよ。でもあの子はね、少し調子に乗るところはあったけども、真面目だったんです。特にサッカーノートは、素晴らしかった。毎日、丁寧に、びっしりと書いてくる。弟たち(千真、三城)はそうでもなかったんだけどね(笑)。今までの教え子の中でも、大剛のサッカーノートが一番だね」

 罰走も、そう。サッカーノートも、そう。居残り練習も、そう。恋愛も、そう。

 一度やると決めたら、こつこつ、こつこつ。中学1年からつけ始めたサッカーノートは、昨年の引退まで書き溜められ、大量のノートの山が、今でも長崎・国見町の実家に山積みされている。

「僕は“クソ真面目”なんです(笑)」

 さらに国見時代は、全体練習後の居残り練習も欠かさず、同級生を誘っては1対1でひたすらドリブルの技術を磨いた。夜20時、最後にナイター照明のスイッチを消すのが、渡邉の日課だった。ちなみに18年前にネックレスをプレゼントしてくれた相手は、現在の彼の奥様である。

「文章を書くことも、居残り練習も、せっかく始めたことを途中でやめる自分が嫌なんですよ。これは根気強い性格と、小嶺先生や小中学校の監督の影響だと思います。小嶺先生からは、常に『継続は力なり』『鍛錬は千日の行。勝負は一瞬の行』と言われていました。

 国見育ちの僕は“クソ真面目”なんです(笑)。プロになったばかりの頃は、なかなか試合に出られない時期が長かったですし、愚痴を言いたくなることもありました。でも、そこで手を抜いたり、人のせいにして文句を言っていたら、絶対にそこで終わってしまう。ふて腐れたとしても、やるべきことは絶対やる。そこは昔からずっと変わらなかったですね」

 実るほど頭を垂れる稲穂かな。

 これもまた、小嶺が教え子たちに口を酸っぱくして伝え続けてきた言葉である。成功したときこそ、謙虚でありなさい。この言葉も、渡邉大剛のサッカー人生を振り返るのに、ぴったりだ。

【次ページ】 J1昇格の立役者になったが……。

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