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ホンダの2019年は記録ずくめだった。
V字復活を可能にした「総力戦」。 

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尾張正博

尾張正博Masahiro Owari

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photograph byGetty Images

posted2020/01/05 19:00

ホンダの2019年は記録ずくめだった。V字復活を可能にした「総力戦」。<Number Web> photograph by Getty Images

フェルスタッペン、C・ホーナー代表と'19年ブラジルGPの勝利を祝う(左から)田辺TD、山本MD。

ホンダの歴史的な人物が復帰。

 技術だけではない。人材も外部のスタッフを登用することで、化学反応を起こした。そのひとりが、'18年からホンダF1のテクニカルディレクターとして現場とイギリス・ミルトンキーンズにあるHRD MKを統率している田辺豊治だ。

 第2期ホンダF1ではゲルハルト・ベルガーのエンジン側の担当エンジニアを務めた経験がある田辺は、ホンダがコンストラクターズ選手権でマクラーレンとともにタイトルを獲得した時代を知る数少ない人物だ。

 さらに第3期ホンダF1ではジェンソン・バトンのエンジン側の担当エンジニアを務め、'06年ハンガリーGPでは第3期での唯一の勝利を飾った。

 ホンダがF1を撤退した後、'13年からはホンダのアメリカでのレース拠点であるホンダ・パフォーマンス・ディベロップメント(HPD)のシニア・マネージャー兼レースチーム・チーフエンジニアとなり、'17年にはインディカーに転向した佐藤琢磨と共に第101回インディアナポリス500優勝の快挙を達成。

 ホンダのモータースポーツの成功を辿ると、そこには常に田辺がいた。 

いまのホンダは、柵のない動物園。

 その田辺をホンダのF1活動に復帰させるよう働きかけたのが、'19年からホンダF1のマネージングディレクターを務めている山本雅史だ。

 山本は'16年からホンダのモータースポーツ部長として、F1活動のマネージメント役を担ってきた。じつは当時、本田技術研究所の社長を務めていた松本へ、部署の垣根を超えてオール・ホンダで戦うことを直訴したのも山本だった。

「これまでのホンダのF1開発は、モータースポーツをやっていた人たちだけで行っていた。でも、ホンダは二輪のレースもやっていて、二輪はずっとタイトル争いをしている。

 ホンダは自動車を作っているだけでなく、ロボットも開発しているし、ジェットも作っていて、さまざまな分野で専門性が高い人たちがたくさんがいる。彼らのノウハウを利用しない手はない」(山本)

 いまのホンダF1の開発をたとえるなら、動物園の柵を取り払って、動物たちが生き生きと自分たちの能力を生かして生活を始めたとでも表現できるだろうか。

 檻から出た獅子たちは、オフシーズンのいまも研究所間を獲物を求めて歩き回っていることだろう。その成長した姿を、早く見たい。

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